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この夏、50年前に通った西オーストラリア・パース市のダルキース小学校を訪ねる機会に恵まれた。当時、父は商社マンで、戦争の影響で対日禁輸物資だった鉄鉱石の輸入を実現すべく我が家は当地に駐在していた。私は、そこで生まれて初めての「小学校」に入学する運びとなった。
オーストラリアはまだ白豪主義の時代で、原則として白人の移民しか認めておらず、クラスの中で有色人種は自分だけ。差別的なことも言われたのだろうが、幸い最初のうちは英語がまったく分からない。唯一、覚えているのは、同級生と砂場で大げんかになり、体の大きな相手にあっさりやっつけられ鼻血を出す始末とあいなったことだ…
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