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日本の台所

築地市場、6日に閉場 食文化築いた83年

建設中の築地市場。弧を描く貨物列車の線路に沿って建物が造られた=1932年撮影(鴻池組提供)
進駐軍に接収され、施設の一部はクリーニング工場に使われた=築地魚市場銀鱗会提供
戦後、10年ぶりに再開された競り市=1950年7月撮影

 世界最大級の魚市場を有し「日本の台所」と呼ばれてきた東京都の築地市場(中央区)が6日、豊洲(江東区)への移転に伴い閉場する。1935(昭和10)年に関東大震災からの復興で誕生し、戦争を乗り越え、景気の波にもまれながら、食文化を築いてきた。83年の歩みは、日本社会の激動の歴史そのものと言える。【市川明代】

 江戸時代から300年続いた日本橋魚河岸が23(大正12)年9月の関東大震災で焼け、海軍所有地に臨時の魚市場が開かれたのが築地市場の始まりだ。

 12年後の2月、「帝都復興事業」の一環で京橋の青物市場を統合し、京都に続く全国2番目の中央卸売市場として開場した。広さは東京ドーム五つ分の約23ヘクタール。水産仲卸棟を大倉土木(現・大成建設)、ほかを鴻池組が施工した。長い貨物列車を敷地に引き込むため線路は弧を描いて敷かれ、それに合わせて建物も扇形に造られた。

 「国を挙げての大事業。最先端の技術が駆使された」と鴻池組東京本店の小川雅史・建築技術部長。鴻池組は延べ7万6594人を投入したという。

 日中戦争が始まると生鮮食品は国の統制下に置かれ、41年には仲買人(仲卸)制度が廃止に。築地は配給施設になった。敗戦で45年に進駐軍に接収され、一部はクリーニング工場に使われた。制度の復活を受け、50年から1600の水産仲卸の参入が許可され、競りも再開された。

 開場時から店を構える仲卸「美濃桂商店」の2代目、伊藤宏之さん(80)は当時小学6年生。竹かごを下げ都電で買い出しに来る町の魚屋さんたちの姿が記憶に残る。働き始めた61年は東京五輪を3年後に控え、築地も好況に沸いていた。

 高度成長期が終わり、バブル経済も崩壊して、87年には81万トンに達した水産物取扱量は減少。スーパーなどによる大量購入が広がり、売り手と買い手が直接価格交渉するのが当たり前になって、競りをするのはマグロやウニなど一部になった。「魚を見極め、質に見合った値段を決める昔ながらの目利きは要らなくなってしまったよ」と伊藤さんは嘆く。

 移転後、苦戦する仲卸は多いとみられる。「扱う魚も売り方も、消費者に合わせていくしかない。若いやつらはきっと、新たな道を切り開いていくよ」

築地市場の歩み

1935年 関東大震災で焼失した日本橋の魚河岸と京橋の青物市場を統合して開場。場内に国鉄の貨物駅も開業

  45年 終戦後、進駐軍が接収。一部をクリーニング工場に

  55年 進駐軍が施設をすべて返還

  87年 国鉄の貨物列車の乗り入れ終了。水産物取扱量がピークの年81万トンに

2000年 地下鉄「築地市場駅」開業

  01年 石原慎太郎知事が豊洲移転を正式決定

  16年 小池百合子知事が移転延期を表明

  18年 10月6日閉場、11日豊洲市場開場

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