毎日新聞
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「日本の台所」として親しまれてきた築地市場(東京都中央区)が83年の歴史に幕を下ろし、閉場した。
1935年、関東大震災で焼失した日本橋の魚河岸と京橋の青物市場を統合して開場した。世界最大級の魚市場を有し、敷地面積は東京ドーム五つ分の約23ヘクタールだ。
戦後は、水産物の仲卸業者だけでも500を超え、日本の高度経済成長と歩調を合わせにぎわってきた。
全国からあらゆる水産物が集まり、独特の「築地ブランド」が確立された。水産物の取扱量のピークは87年で、年間約81万トンに上った。
5年前、「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録された。肉よりも魚が食卓の中心にある。築地市場は、そんな日本の和食文化を象徴する場所だったと言える。
活気に満ち、古き良き日本の情緒を残す市場とそこに生きる人たちは、戦後の日本映画に数多く登場してきた。築地周辺を舞台にした小説「魚河岸ものがたり」が直木賞を受賞したのは86年だ。日本の文化に与えた影響も見逃せない。
施設が手狭になり老朽化も進む中で、築地市場はこの30年、築地で再整備をするのか移転するのかで揺れ続けてきた。移転先に決まっていた豊洲市場の土壌汚染問題に今年やっと決着がつけられた。
近年は、マグロなどの解体作業の見学に外国人観光客らが大勢訪れ観光スポットとしても注目される。ただし、昨年の水産物取扱量は38万トン超とピーク時の半分以下で、市場規模は縮小している。
背景にあるのは、流通の多様化だ。スーパーなどが市場を通さずに生産者と取引する市場外取引が急速に普及している。魚に対する目利きなど、市場に求められる機能も、取引形態の変化によって変わってきた。小規模な仲卸業者は商売の継続が難しくなっており、移転を機に廃業した例も少なくない。
11日に豊洲市場が開場し、市場機能は移る。東京五輪・パラリンピック後に、築地市場の跡地をどう利用するかが今後、最大の課題だ。
小池百合子知事は、「食のテーマパーク」に再整備すると述べたが、明確な青写真はない。都心に残る大規模な都有地について、小池知事は活用の方向性を示す責任がある。
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