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れんがの壁に映し出された映像作品の前に立つ安田朱里さん=久野華代撮影

 フランス語習得のため4月から、フランスに留学しています。新聞記者の仕事を離れ、語学学校に通う留学生活を日記風につづっています。

 高速鉄道「ユーロスター」に乗ってパリから約2時間。ロンドンに行きました。ここで暮らす友人らに連絡を取ったところ、学生時代から知るアーティスト、安田朱里(やすだ・あかり)さん(35)が「ユーストンでエキシビションを開催中なので訪ねてきて」とメールをくれました。

 ユーストンは、ロンドンの中心部にある鉄道駅。安田さんはその近くのギャラリーで仲間と展覧会をやっている最中ということでした。古い教会の地下礼拝堂を使った施設で、ほぼ真っ暗。ギャラリーなのに、ろうそくの明かりだけが頼りという空間です。バックパックを下ろして椅子に座ると背中の汗が引いてゆき、彼女の映像作品がれんがの壁に浮かび上がりました。

プラスチックごみを題材にした映像作品を発表した安田朱里さん。真っ暗な空間に、作品が映し出されます=久野華代撮影

地球の歴史の証言者?

 カラフルな何かを、まるで顕微鏡のハンドルをせわしなく動かし続けるように、見たいものにピントが合わないままカメラがとらえ続けています。対象物は次々と変わり、そのたびに映像の「あたたかさ」「冷たさ」が変化するようにも見えます。作品の長さは9分52秒。さて一体、何を撮っているのか。水辺ではありそうだ。風化した動物の骨みたいなものも見えた。これは何かと作者にたずねたところ、「色鮮やかなのは海辺に打ち上げられたプラスチックごみなんよ」と教えてくれました。

 安田さんは2016年7月、英南部ケント州にあるドーバー海峡に面したダンジェネスという町を訪れました。ここには英国人の映画監督デレク・ジャーマンが晩年に過ごした家と丹精込めて造った庭があり、彼の死後も訪れる人が絶えません。

 1960年代に建設が始まり、現在も稼働する原子力発電所があることでも知られています。広島県出身の安田さんは故郷の原子爆弾の被害と原子力の利用というテーマにも関心を寄せています。ダンジェネス原発の遠景を探そうと海岸に下りました。

 そこは丸い石で覆われ、他に人は見当たらず強い風が吹いていました。目に留まったのは、石と石の間にはさまり、海藻や貝殻などとからまり合ったプラスチックごみ。「きれいだけど、不気味」と戸惑ったそうです。すぐにカメラを構えました。分解されにくいプラスチックは、浜辺に打ち上げられたまま同じ姿で長い間とどまり続けます。海藻や貝殻に巻き付いたプラスチックごみを拾い集めてロンドンの自宅に持ち帰り、まるで石をめでるように見つめ続けました。「人工物と自然物の共存は、幻想にすぎないのだろうか」。そんな思いにとりつかれ、これをライオンの頭、ヤギの体、蛇のしっぽを持つギリシャ神話の怪獣「キメラ」に見立てました。

 英国ではその頃、プラスチックごみの問題がすでに議論されていました。安田さんもテレビ番組やネットメディアなどで、海を漂うプラスチックごみが生き物の生存を脅かしていることを知りました。また、オゾンホールの研究などで知られるドイツの化学者パウル・クルッツェンが提唱した地質年代「人新世(じんしんせい)」が議論されていることにも想像力をかき立てられました。

 地質年代とは、化石や地層に刻まれた物質によって地球の歩みを分けたものです。私たちが生きている今は「完新世」にあたると定義されていますが、核実験による放射性降下物やプラスチックなど人間の活動が生み出したものが化石や地層に堆積(たいせき)し、もはや「人新世」という新たな時代区分に移行している、という説です。

 ダンジェネスの浜辺で見たプラスチックごみも、ごみと呼ばれながらも46億年の地球の歴史の証言者になるかもしれない--。この先の人間と自然の関係を、半永久的に生き続けるプラスチックが静かに目撃するイメージが浮かびました。持ち帰ったプラスチックごみや海藻をスタジオでも撮影し、「Chimera キメラ」と名付けた映像作品を完成させました。

 安田さんの作品は9月、欧州の若手アーティストが競い合う「TENT ACADEMY AWARDS」というコンテストに招待され、オランダのロッテルダムでも上映されました。英国では来年にも、使い捨てのプラスチック製のストローや綿棒の芯などの使用が禁止されることになっています。「使って捨てたら終わり、という思想は早くから産業が発達した欧州的な考え方。むしろ日本では昔から『もったいない』という言葉があるように、ものに畏怖や敬意を抱いてきた。日本でもプラスチックごみに関する前向きな議論ができると思う」と期待を寄せています。

ロンドン在住で広島県出身のアーティスト・安田朱里さん=久野華代撮影

時代をとらえ作品を生み出す

 恥を忍んで申せば、私にはアートに関する素養が全くないため、彼女の作品を見る前には「難解すぎて何の感想も出てこなかったらどうしよう」と身構えていました。ところが、映像の長さや色、音などの要素を見つめていくと「文法」のようなものが差し出され、それが分かった瞬間に映像の世界にのみ込まれました。

 まるでフランス語読解のようです。安田さんから話を聞くうちに、相応に枯れることなくツヤツヤとしたまま生き続けなければならない宿命を背負ったプラスチックを人間に重ね、哀れむに至るほどでした。安田さんの作品は、プラスチックごみの危機を訴えるドキュメンタリー映像とは異なります。私たちが新聞記事として発信しているプラスチックごみと入り口は同じでも、アートには事実を超えて人間の複雑な感情や記憶を喚起する力が満ちていると思いました。彼女のサイトで公開されていますので、ぜひご覧になってみてください。

 安田さんは大学卒業後の5年間、出版社で雑誌の編集者をしていました。週刊誌の記者として芸能人の張り込みもしたし、女性ファッション誌では定番の「着回しコーディネート企画」も手がけたそうです。

 それを辞めてロンドンに来てから7年。アートを学び始めてからのキャリアの方が、気がつけば長くなりました。「いつも今、世の中で何が起きているか、何が議論されているかが気になる。それを感じ取って作品に反映させたいと思っている。それは自分が元マスコミだからかも」と照れながら話していました。自分が生きる時代をとらえ、それを象徴するものを生み出す作業はとても難しいことです。でも、異国でそれに挑戦する彼女にとても勇気づけられました。私もまた明日からがんばろうと思いながらフランスに帰ってきました。【久野華代】

久野華代

1983年三重県生まれ。東京外国語大学を卒業後、2006年に毎日新聞に入り北海道や東京で記者として働いた。日当たりの良いテーブルか、あたたかい布団で本を読むことが好き。寒い部屋ならルイボス茶をいれる。山菜採りも好き。

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