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明治時代の三菱財閥の功労者だった荘田平五郎(しょうだ・へいごろう)はよく企業の新卒採用の第1号といわれる。1875年に慶応義塾から三菱商会に入ったのだが、ただ「新卒」といっても彼は慶応ですでに教壇に立っていた▲また入社の背景には、三菱の岩崎弥太郎(いわさき・やたろう)を高く評価して実業界への人材送り込みをめざした福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち)の存在もあったといわれる。三菱はその4年後には新卒者の定期採用を始めたから、就活事始めとしての歴史的な意義は大きかった▲では「就職協定」の事始めはいつごろか。実は戦前の1920年代末、大手銀行などの企業間で「入社試験は卒業後に行う」ことが決められた。しかし戦後と同じように企業の抜けがけが絶えず、ほどなく協定は破棄されるはめになる▲戦後は企業・学校間の協定や企業の倫理憲章で定められてきた新卒の就活ルールである。だが経団連は面接解禁日などを定めた指針を2021年春入社から廃止することを決め、経済界が主導する就活ルールはなくなることになった▲外資系企業やIT企業が早期採用を進めるなか、大手企業の人材確保への危機感がその背景にある。従来の抜けがけとはレベルの違うグローバルな人材獲得競争は、新卒一斉採用という日本独自の慣行の見直しまで迫るものとなった▲今後は政府が新たな就活ルール作りを主導するが、当然ながら学生や中小企業が抱く不安への対応が求められよう。グローバルな競争のなかでの日本型雇用慣行の行方まで見通さねばならぬ現代の就活学生だ。
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