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1868年10月23日の明治改元から150年を迎えたきのう、東京・永田町の憲政記念館で政府主催の記念式典が行われた。日本が近代国家として出発した原点を今、振り返ることの意味を考えてみたい。
安倍晋三首相は再登板した第2次政権のスタート時から、「強い日本を取り戻す」を合言葉に、国会演説などで繰り返し明治の偉人や業績を手本として説いてきた。
式典でも「国難ともいえる時代にあって、故(ふる)きを温(たず)ね新しきを知る。明治の人々に思いをはせながら、この難局を乗り越えていかなければならない」と呼びかけた。
1968年、明治100年記念の時と比べてみよう。敗戦から23年、独立回復から16年。すでに東京オリンピックを開催し、高度経済成長の真っただ中にいたとはいえ、本紙社説は日本のランクを「中進国」と記している。
戦災復興を抜けて先進国の仲間入りを目指し、科学技術や産業文明の未来を信じていた当時の社会には、国を挙げて西欧近代国家の背中を追いかけた維新の精神にならおうという考え方が、比較的受け入れやすかったことだろう。
明治100年を考える機運が、政府主導に先んじて論壇や民間から起きたという経緯もうなずける。
今はどうか。日本が直面するのは、急速に進む人口減少と少子高齢化、財政悪化という現実である。国際秩序も50年前の東西冷戦体制と異なり、複雑で不透明だ。外国人労働者の受け入れ拡大が進めば、価値観の多様化はさらに進み、多文化共生の試行錯誤が続く。
いずれも近代の枠組みや発想を超える難題であり、追いかける手本もはっきりしない。社会の構造と課題、取り巻く時代状況が一変したにもかかわらず、「明治の精神に学び、日本の強みを再認識しよう」と言われて、どれほどの人に響いただろうか。全体に盛り上がらなかったのも無理はない。
そもそも歴史の評価は視点によって異なる。明治維新は偉大な事績だが、陰の面も併せ持つ。政治が主導する一面的な賛美はなじまない。
激動期は新たな可能性とリスクへの絶えざる挑戦だ。過去の成功体験を振り返るだけでは難しい。
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