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若松孝二とその時代

2012年10月17日に若松孝二監督が突然の事故で逝ってから5年半余りがたった。「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」「キャタピラー」「水のないプール」「天使の恍惚(こうこつ)」「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」「犯された白衣」など、日本映画史に残る傑作、問題作を数多く残した鬼才の死を惜しむ声は今も少なくない。「映画を武器に世界と闘う」「日本映画界をブチ壊す」--。半世紀にわたって、体制への怒りと反抗心をむき出しにした若松監督がこの国にもの申し、時代を撃ち続けた力の源泉とは何だったのか。ゆかりの深かった関係者へのインタビューなどから、にんげん・若松孝二の原点と魅力に迫る。

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若松孝二とその時代

(12)殴り合いから40年の付き合いに 高橋伴明監督インタビュー

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「若ちゃん(若松孝二監督)が、1976年に俺を映画監督として再デビューさせてくれた恩義は感じている。盆暮れの届け物は最後まで欠かさなかったよ」と話す高橋伴明監督=鈴木隆撮影
「若ちゃん(若松孝二監督)が、1976年に俺を映画監督として再デビューさせてくれた恩義は感じている。盆暮れの届け物は最後まで欠かさなかったよ」と話す高橋伴明監督=鈴木隆撮影

 連載企画「若松孝二とその時代」第12回は、若松孝二監督同様、ピンク映画から監督人生をスタートさせた高橋伴明監督のインタビューをお届けする。実際の銀行強盗立てこもり事件を題材にした話題作「TATOO<刺青>あり」(1982年)を撮った高橋さんだが、実生活でも若松監督との出会いは酒瓶での激しい殴り合いから始まった。40年に及ぶ付き合いは、付かず離れず「損得抜き」の関係が続き、「分家」として若松プロへ「上納金」を払っていたという。まさに若松プロ内部からは聞くことのできない別の若松孝二の像が浮かび上がった。全国公開中の「止められるか、俺たちを」がまた違った視点で見られそうだ。【鈴木隆】

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