ハンガリーを舞台とした「開かれた社会」と「非自由主義的民主制」との対立が世界景気の下方への転換をきっかけに交錯する。
ナチスによるハンガリー侵略で母国を離れたジョージ・ソロス氏は、自由な金融市場を使いこなして巨額の富をつくる。1989年にベルリンの壁が落ち、抑圧された東欧に自由が戻った91年にチェコのプラハに自由社会を支える法の支配と普遍的な人権尊重を建学の柱として「中欧大学」を彼は設立した。そして2年後思いを込めてハンガリーのブダペストに移転させた。
他方、2008年の金融危機からの立ち直りが世界的な課題であった10年に、オルバン氏は首相への復帰を果たす。金融緩和による景気刺激が世界的な潮流のなかで、彼はむしろ財政収支の均衡策にこだわる。欧州連合(EU)への依存を排し、一国としての自立の気概なくして激流は乗り切れないと認識したといえよう。
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