大津教委

坂本城の範囲狭く? 発掘調査で痕跡確認できず

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坂本城「三の丸」跡と想定していた区画で出土した、ほぼ直角に曲がった幅約6メートルの溝跡=大津市で2018年11月9日午後3時18分、礒野健一撮影
坂本城「三の丸」跡と想定していた区画で出土した、ほぼ直角に曲がった幅約6メートルの溝跡=大津市で2018年11月9日午後3時18分、礒野健一撮影

 大津市教委は14日、戦国武将・明智光秀が築城した坂本城跡の「三の丸」南西部と推定される箇所(同市下阪本3、約825平方メートル)を発掘調査した結果、城の痕跡は確認できなかったと発表した。これまでの発掘結果や地名などから、城は本丸とみられる跡が見つかった琵琶湖岸から西約300メートルのJR湖西線付近までと推定されていたが、範囲が狭くなる可能性がある。

 坂本城は1571年の比叡山焼き打ち後、織田信長の命を受けた光秀が築城し、光秀が信長を討った「本能寺の変」(82年)後に焼失。直後に再建されたが、86年に大津城が築かれると廃城になった。構造を伝える絵図面が残っておらず、正確な位置や曲輪(くるわ)の配置などは不明だったが、1979年の発掘調査で湖岸部から本丸とみられる建物跡などが出土していた。

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