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おもい-つくる/3 職人技の総監督

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スタッフと「WIND MANDALA」の打ち合わせに余念がないマリさん(左)=大阪市中央区で2018年3月13日、川平愛撮影 拡大
スタッフと「WIND MANDALA」の打ち合わせに余念がないマリさん(左)=大阪市中央区で2018年3月13日、川平愛撮影

 ピンホールカメラ独特の色彩を美しく見せるには? マリさん(アサヒ精版印刷社長、築山万里子さん)の大事な仕事の一つは紙選びだ。鈴鹿芳康さん(71)の写真集「WIND MANDALA」の制作にあたって、マリさんは3種類の紙をテストした。

 話がちょっと横にそれるが、テレビ画像には走査線というのがある。画面には無数の横線が走っていて、昔の放送は525本、現行のデジタル放送は1125本、4Kは2160本。走査線が多くなるほど画像が細かくなる。シワもくっきり見えるから、女優さんが嫌がるわけだ。

 これと同じで、印刷物にも線数がある。低いと粗く、高いときれい。おおざっぱにいうと新聞は低く、カタログは高い。オフセット印刷の基木は175線。グラデーションを美しく出すために、マリさんはこれより高い230線で出力するよう設定した。230線に適した紙はどれか?「滑らかでキメの細かい紙。表現の幅が広いんです」

 紙は決まったが、マリさんの仕事は始まったばかり。ピンホールカメラで撮った写真は二次元のアナログフィルムだ。これをスキャンしてデジタル化し、さらに印刷用データに変換するのだが、どうしても彩度が落ちてしまう。それを元のイメージに近付けるために、製版の現場に指示をする。さらに印刷機の選定、表紙の素材選び、タイトル文字に使う金箔(きんぱく)はどの金色を押すか……。

 印刷はさまざまな工程から成っていて、特に大阪ではそれぞれの工程に特化した工場が多い。そもそもが分業制なのだ。マリさんは、それぞれの工程を任せたあちこちの協力工場に出向いて、仕事を進めていく。「WIND MANDALA」には製版、印刷、箔押し、製本など8社が関わった。

 印刷を依頼した工場は、最新の機械ではなく、数十年使い込んだ型を使用している。「今回は特に色の調整に職人さんの感覚が必要だと思って、腕を信頼して頼みました」。職人の腕さえあれば、古い機械の方が融通がきいて細かい調整ができる場合もある。

ピンホールカメラに見立てて、写真集に直径3ミリの穴を開けた=久保玲撮影 拡大
ピンホールカメラに見立てて、写真集に直径3ミリの穴を開けた=久保玲撮影

 さらに鈴鹿さんから、写真集に小さい穴を開けたいという注文があった。最初の16ページ、8枚の黒い紙には、ちょうど中央に直径3ミリの穴が開いている。カメラのファインダーであるピンホールに見立てたものだ。「印刷業界でも、どうやったらこんなことができるの?って不思議がられますが……」とマリさんはククッと笑う。

 詳しい工程は省くが、普段は値札やタグなどの下げ札や、帳簿を閉じるための穴を開ける機械を使ってみた。もちろんアート作品になど使ったことはない。頼んだ工場は「どこに穴、開けんねん?」と戸惑い、数を聞いて「1個かい!」とのけぞった。「できるやろ」と詰め寄るマリさん。「……できるなあ」とうなづく工場。この工場は、穴一つ開けるだけに関わった。

 こういう光景が始終繰り広げられているのだ。アサヒ精版が印刷機を持たないで印刷会社をやってるのは、こうした協力工場とのつながりがあるからだ。そして、マリさんの名刺にある「プリンティングディレクター」という肩書きは、工程ごとに工場を選び、「無理難題の仕事」を口説き落として受けてもらい、あれやこれやと細かく指示し、受けた仕事を完成させる、いわば印刷の総監督といったところか。

 「クライアントが望むベストに近づけるために、アイデアは惜しみません。自分の首締めてることが多いけど」と笑うマリさん。その仕事ぶりを鈴鹿さんは「お父さんのトライする感性を受け継いでる。任せて良かった」と笑む。鈴鹿さんは先代社長の敬志朗さん(77)の古い知り合いで、その縁もあって写真集の依頼が来たのだった。この先代が業界の名物社長だった。<文・松井宏員、デザイン・シマダタモツ>

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