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麗しの島から

日本と台湾の協力で続く戦没者慰霊祭 バシー海峡

バシー海峡戦没者慰霊祭で、焼香をあげる遺族ら=台湾南部・屏東県恒春で2018年11月11日、福岡静哉撮影

 台湾とフィリピンを隔てるバシー海峡は太平洋戦争中、旧日本軍にとって重要な物資輸送ルートだった。だが日本の輸送船は米潜水艦による魚雷攻撃の標的となって多くが撃沈され、海峡は「輸送船の墓場」と呼ばれた。この海域では10万人とも言われる日本人が犠牲になったが、あまり知られずにきた。海峡を見渡せる台湾の岬で戦没者慰霊祭が始まったのは、戦後70年たった2015年のことだ。その陰には多くの台湾人と日本人の努力があった。4回目を迎えた慰霊祭を現地で取材した。

兄常由さんの遺影を胸に、慰霊祭に出席した中嶋文治さん=台湾南部・屏東県恒春で2018年11月11日、福岡静哉撮影

「平和の大切さ、かみしめた」

 台湾本島の最南端・鵝鑾鼻(がらんび)岬にほど近い高台に建つ潮音寺。11月11日にあった戦没者慰霊祭には遺族ら約90人が出席した。ここは熱帯に属し、11月でも気温30度を超える日が珍しくない。この日も汗がしたたるほどの快晴だった。

 参加者で最高齢の中嶋文治さん(90)=東京都豊島区=は、兄常由さんの遺影を胸に抱いて参列した。志願兵だった常由さんは1944年12月5日、乗っていた船が魚雷攻撃を受けた。19歳だった。45年2月、「南方海上にて死亡」との戦死公報だけが届いた。遺骨も、遺品もなかった。母トメさんは「常由が沈んだ海に行きたい、行きたい」と願った。戦後、文治さんが厚生省(当時)に問い合わせ、船が沈んだ場所がバシー海峡と分かった。ところがトメさんは「海外へなんかとても行けねえ」。文治さんは「母は古い時代の人。無理もない」と振り返る。トメさんは軍人恩給を使い、埼玉県飯能市の墓地に慰霊碑を建立。85年、91歳で死去した。

潮音寺に飾られた中嶋秀次さんの写真=台湾南部・屏東県恒春で2018年11月11日、福岡静哉撮影

 文治さんも戦後を生き抜くのに必死だった。フィリピン側に行くことも考えたが、実現できずにいた。今年になってから慰霊祭のことを知り、高齢での台湾行きを心配する家族の反対を押し切って参加した。「兄貴もお袋も喜んでくれていると思います。本当に来てよかった」と感慨無量の様子だった。

 式典後、参加者たちは海辺に移動した。砂浜を歩き、白菊の花を海辺に手向け、手を合わせた。当時、一帯の海岸には来る日も来る日も、撃沈された輸送船に乗っていた日本人の遺体が流れ着いたという。

 金物寿久さん(69)=長野市=は、浜辺の砂を小瓶に詰めていた。陸軍兵だったおじの金物正雄さんは44年9月、乗船していた船がバシー海峡で沈められた。「骨も遺品も何もなく、おじの墓は空っぽなんです。この砂を入れてあげたいと思います」。ほおに大粒の涙がつたった。

 父の飯田道夫さんを亡くした松本和子さん(76)=横浜市=は「ここに来て、改めて平和の大切さが身にしみた。平和な日本を維持していくためにはどうすればいいのか、もっと考えないといけない。それが、父が残してくれたメッセージだと思います」と話した。

海岸で白菊の花を手向ける、遺族や慰霊祭参列者ら=台湾南部・屏東県恒春で2018年11月11日、福岡静哉撮影

日本人の慰霊に尽くす台湾の人たち

 海で犠牲になった戦没者の遺族にとって、故人をしのぶ場所となった潮音寺。その建立は一人の元日本兵の熱意によって実現した。寺の維持・管理は、多くの台湾人の善意によって支えられている。

 中嶋秀次さんは23歳だった44年8月19日、乗船していた輸送船「玉津丸」が米軍に撃沈された。12日間の漂流の末、近くを通りかかった日本船に助けられ、九死に一生を得た。だが4000人以上が海の底へ消えた。戦後、死んでいった戦友たちの鎮魂をしたいと思い続けてきた。バシー海峡に船を出し、遺族らと共に独自に慰霊祭を何度も開いた。恒久的な慰霊施設を作りたいとの気持ちは年々、増した。

呉昭平さん(右)、鐘佐栄さん夫妻=台湾南部・屏東県恒春で2018年11月11日、福岡静哉撮影

 70年代、バシー海峡を望む地に慰霊塔を建立しようと思い立ち、台湾南部で適地を探し歩いた。高雄市で土産物店を営む呉昭平さん(79)、鐘佐栄さん(67)夫妻と出会ったのは76年ごろだ。戦友の慰霊への思いを語る中嶋さんの熱意に、夫妻は心打たれた。呉さんは「私は戦争当時、まだ幼かったが、海岸に遺体が次々と流れ着き、埋葬が追いつかなかったと大人から後になって聞いた。本当に悲しいことだ。中嶋さんの話を聞き、私たちに何かできればと思った」と振り返る。中嶋さんを現地に案内し、一緒に建立場所を探し歩き、物心両面で支えた。中嶋さんや遺族らが資金を出し合って81年、現地に建てたのが潮音寺だ。

 その後、潮音寺の敷地に民宿建設を計画した地権者と訴訟になり、寺の存続が危ぶまれた。何とか和解にこぎつけ、台北市で旅行会社を経営する謝憲治さんによる資金援助もあり、呉さん夫妻が13年6月、敷地を買い取って解決した。それを見届けるかのように中嶋さんは13年10月、92年の生涯を閉じた。

 寺の老朽化も課題で、呉さん夫妻が私財を投じ、17年2月に全面修復工事を終えた。鐘さんは「中嶋さんは鎮魂を自らの使命だと強く感じていた。私たちはその使命を受け継ぎ、ずっと寺を守り続けていく。遺族の皆さんは安心してほしい」と語る。夫妻の長男、呉凌輝さん(32)も「両親の思いは私が受け継ぎます」と話している。台湾人の呉さん夫妻がこれほど一生懸命に日本人の慰霊のため尽くしていることは、日本ではあまり知られていない。

運営を担うのは日台の若者ら

 バシー海峡戦没者慰霊祭は15年の第1回から、台湾在住の日本人ら多くの若者がスタッフとなって運営を支えてきた。実行委員長の渡辺崇之さん(45)は呉さん夫妻から中嶋秀次さんの話を聞き、13年夏、静岡市でまだ存命だった中嶋さんを訪ねた。バシー海峡での体験を聞き、その熱意に強く共感した。その後、14年10月に中嶋さんらを描いたドキュメンタリーを出版した作家の門田隆将氏に、慰霊祭の開催を勧められた。門田氏は大学の先輩に当たり、以前から親交があったという。渡辺さんは、遺族や中嶋さんの友人らと慰霊祭を計画し、戦後70年の15年8月、第1回慰霊祭の開催にこぎつけた。2回目以降は、戦前に台湾で死去した日本人を悼む慰霊祭が台北市などで開かれる11月に開催している。

 渡辺さんは「バシー海峡の悲劇は日本であまり知られていない。『人は二度死ぬ』と言われる。一度目は肉体的な死、二度目は後世の記憶から忘れられた、忘却による死。バシー海峡の戦没者たちを二度死なせることがあってはならない」と思いを語る。

 今年は渡辺さん、坂端宏治さん(41)、桜庭律子さん(33)、権田猛資さん(28)、台湾人の江孟庭さん(25)の5人が慰霊祭の運営を切り盛りした。第1回からスタッフとして参加する権田さんは「1年に1度はバシー海峡に向かって手を合わせる場を作るお手伝いをすることが、台湾にいる日本人としてできることだと思う。同時に、遺族以外の日本人にも、バシー海峡戦没者のことや、台湾の人々が潮音寺を守り、慰霊を続けてくれている事実を発信したい。歴史を風化させないためにも慰霊祭を続けていきたい」と決意を語った。【福岡静哉】

スタッフとして慰霊祭を裏方で支えた左から桜庭律子さん、江孟庭さん、渡辺崇之さん、坂端宏治さん、権田猛資さん=台湾南部・高雄市で2018年11月10日、福岡静哉撮影

福岡静哉

台北特派員。1978年和歌山県生まれ。2001年入社。久留米支局、鹿児島支局、政治部などを経て2017年4月、台北に赴任した。香港、マカオのニュースもカバーする。

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