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クトゥーゾフの窓から

日露の架け橋を(2) 踊り続けるベテラン・ダンサー 元ボリショイ 岩田守弘さん

演目「全てが間違っている」でたばこを吸うポーズを撮る岩田守弘さん=モスクワの日本大使館で2018年11月9日、大前仁撮影
演目「全てが間違っている」を踊り終え、両手を広げる岩田守弘さん=モスクワの日本大使館で2018年11月9日、大前仁撮影

 しゃがれた歌声と悲しげなギターの音色に合わせて、小柄な日本人ダンサーが踊り始めた。鋼のような筋肉が体を覆い、無数の視線を吸い寄せる。踊り出しはあたかもパントマイムのようだ。右手を天に突き上げ、人さし指を振って「違うよ」とのポーズを取る。一つひとつの動きが曲と調和し、ステージに力強い空間を作り出していた。

 舞台に立つのはバレエダンサーで、今では芸術監督も兼ねる岩田守弘さん(48)。普段は東シベリアの都市ウランウデにある「ブリャート共和国立歌劇場バレエ団」で活動している。11月上旬のこの日、日本企業が企画したイベントへの出演を依頼され、日本大使館の多目的ホールで踊った。私は控室から同席し、踊り終えるまでの様子を追ってみた。

出演を控え自分でメークしていく岩田守弘さん=モスクワの日本大使館で2018年11月9日、大前仁撮影

「数年でモスクワに戻るつもりが…」

 岩田さんは1995年から17年間、世界最高峰の一つボリショイ劇場バレエ団(モスクワ)に所属していた。外国人として初めてのソリストとなり、人気作品「白鳥の湖」の道化役を踊るなど名脇役として知られた。身長こそ166センチにとどまるが、高い跳躍力を誇り、俊敏な動きを披露し、強烈な印象を残してきた。「若いダンサーに道を譲らなければならない」と語り、2012年夏にボリショイを退団。その年の秋からウランウデに拠点を移し、普段はバレエ団を指導しながら、重要な公演や特別な行事では舞台に上がっている。

 この日、岩田さんが会場に着いたのは出演時間の4時間前。私が岩田さんを取材し始めてから9年たった。取材外でも親しくしていることもあり、岩田さんとの会話は近況報告から始まった。「最初は2~3年ぐらいでモスクワに戻るつもりだったのですが、もう6年を過ぎています」と、しみじみ語る岩田さん。10代だった2人の娘は、それぞれ23歳と21歳になった。妻のオリガさんはボリショイの前に所属していた別のバレエ団で同僚だった。彼女も2年前からウランウデに移り、子どもたちに踊りを教えている。「ウランウデはすごくのんびりとしているのです」と岩田さんは、現地の生活を気に入っている。「それでも……」と言葉を濁し、最近になって劇場の首脳陣が代わるなど、芸術監督を続けるうえで苦労が絶えないことを漏らした。

カーテンを開けて窓に映る自分の姿を見ながら振り付けを確認する岩田守弘さん=モスクワの日本大使館で2018年11月9日、大前仁撮影

ダンサーが自分自身にスイッチを入れる瞬間

 舞台出演を控えたダンサーには、自分自身にスイッチを入れる瞬間があるようだ。岩田さんの場合は、出演まで1時間半ぐらいに迫ったとき。おもむろにスーツケースから化粧ポーチを取り出すと、床に座り、ドーランを塗り始めた。それまで冗舌だった岩田さんの口が閉じられた。続いてアイシャドーの筆を取り出す。ボリショイ時代にはいつもメーク係が化粧を施してくれたが、今の劇場の人員が少ないこともあり、自分で筆を手に取ることも多くなった。お陰で手つきは慣れたものだ。

 化粧を終えた岩田さんはストレッチに取りかかった。両足を前後180度に開脚し、股関節を伸ばしてみせる。以前に柔軟をしていたころと比べると、岩田さんの表情が苦しそうだ。もうすぐ50歳。体力の衰えや体が硬くなったことを口にする分、舞台前の準備には力を入れている。控室には同僚のダンサー2人もいるのだが、出番が近づくに従い、室内の空気が重くなってきた。その中でトレーニングスーツが擦れる音だけが聞こえてくる。

 しばらくすると、扉の外から大きな拍手が伝わってきた。廊下を挟んだ会場でイベントが始まったようだ。「来客は多いみたいだね」。岩田さんの同僚ダンサー、ブラトさんがつぶやく。出演者と一緒にいると、拍手の音一つにも敏感になってしまうことが分かる。時間を確認するためにブラトさんが携帯電話を手にする頻度が増えていく。一方で岩田さんは険しい表情になり、踊りの振り付けの確認に余念がない。今回は大使館の一部屋を割り当てられたことから、鏡が置かれていなかった。それでもロシアで活動するダンサーたちは多少のことではへこたれない。岩田さんはカーテンを開けて窓ガラスに自分の姿を映し、動きを繰り返していた。

出演を控え入念にストレッチする岩田守弘さん=モスクワの日本大使館で2018年11月9日、大前仁撮影

「ソ連体制」下の反逆児の歌声に合わせ

 いよいよ本番。岩田さんは7~8年ほど前に自分で振り付けた演目を選んだ。ソ連時代の詩人や俳優であり、音楽家でもあったウラジーミル・ビソツキー(故人)の曲に合わせて、その歌詞を表現した演目である。ビソツキーはソ連の全体主義体制を批判した反骨の人だった。国民的な人気を誇りながらも、レコードの販売が許されず、若者は夢中になってダビングされたカセットテープを聞いていたという。曲目「全てが間違っている」(直訳)が作られた1967年は、ロシア革命から半世紀。社会主義国の盟主だったソ連は公平な社会の建設を唱えながら、権力者が国民を抑えつけていたのが実態だった。

 ギターのイントロの後に、ビソツキーのしゃがれ声が流れてくる。「夢の中で黄色い明かりを見た」と歌う。「黄色い明かり」とはSOSのサインではないだろうか? 岩田さんはそう思っている。ビソツキーはソ連社会の行く末を案じていたのだろうか?

 舞台上の岩田さんは上半身をさらけ出し、ジーンズ姿で宙を舞う。髪をかきむしり、たばこを吸う仕草もみせて、十字を切る。一連の動作を通して、ビソツキーがこの曲に込めたとみられる「体制への不信感。絶望。欲望。嘆き。人生への叫び」を表現しようと試みた。

演目「全てが間違っている」で祈るシーンを演じる岩田守弘さん=モスクワの日本大使館で2018年11月9日、大前仁撮影

「下手なダンサーほど舞台のせいにするのです」

 この日の舞台は日本大使館の多目的ホールのステージだったから、通常の舞台よりも狭い。時には壁に当たりそうになりながらも、気にするそぶりも見せずに踊り続ける。「下手なダンサーほど舞台のせいにするのです」。くしくも控室で岩田さんが口にしていた言葉が思い浮かぶ。

 曲の長さは5分弱。その間、岩田さんは絶えず動き回っている。私は3年前、舞台袖から岩田さんがこの演目を踊るのを眺めたことがあったが、踊りの直後に肩で激しく息をする姿が目に焼き付いていた。ましてや最近は芸術監督の仕事に忙殺されているから、舞台に立つ頻度も少なくなっている。全盛期に比べれば、筋力も体力も落ちているはずなのに、舞台上の岩田さんは息を切らさず、高々と宙を舞い、きれいに回ってみせた。

 「ブラボー!」。曲が終わり、岩田さんが最後のポーズを取った瞬間、ロシア人男性の声が響いた。ほぼ同時に150人以上で埋められた会場内から拍手が湧いてくる。中にはビソツキーの曲を知らない日本人の来客もいたと思うが、力強い歌声と哀愁を誘うメロディーを耳にし、全力を出し切った岩田さんの姿を目にして、ステージに引きずり込まれたようだ。深々と頭を下げる岩田さんへ向けられた拍手は、しばらく鳴りやまなかった。合計4度にわたり、頭を下げて、両手を広げた岩田さん。機を見計らい、ステージからサッと走り去ると、舞台には不思議な余韻が残された。

踊りで負けたくない

 10月に48歳になった岩田さんだが、近く現役を退くような気配はみじんも感じさせなかった。私が9年前に初めてインタビューしたとき、39歳の岩田さんは「50歳まで踊り続けます」と発言していた。その直後に「別にそれが目標ではありませんが……」と付け加えていたが、すでにその年齢まで遠くない地点に来ている。

 「よく『踊ることがやめられない』と言うじゃないですか」。かつて岩田さんがこのように口火を切ってから、本音を打ち明けてきたことがあった。「僕の場合は踊りで(他のダンサーに)負けたくないのです。だから、やめられないんだな」。最後の部分では自身に語りかけるようしていた岩田さんだ。私もこの日の舞台を間近で見ていたら、この時の言葉が納得できた。まだまだ岩田さんは芸術監督を続けながらも、舞台に上がり、全力で踊りきっていくのだろう。【大前仁】

演目「全てが間違っている」でラストシーンのポーズを決める岩田守弘さん=モスクワの日本大使館で2018年11月9日、大前仁撮影

大前仁

モスクワ支局記者 1969年生まれ。1996年から6年半、日経アメリカ社でワシントン支局に勤務。毎日新聞社では2008年から13年まで1回目のモスクワ支局に勤務。

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