桂南光さん

関西人 見抜く力

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大阪の魅力について語る桂南光さん=大阪市北区で、山田尚弘撮影 拡大
大阪の魅力について語る桂南光さん=大阪市北区で、山田尚弘撮影

 上方落語界を代表する演じ手であり、テレビ・ラジオを通じお茶の間でも愛される桂南光さん(66)。大阪府唯一の村、千早赤阪村に生まれ、18歳で故・桂枝雀さんに入門して48年、変わらず関西を拠点に活躍を続けてきました。3年前に本紙で始まった連載「南光の『偏愛』上方芸能」(現「南光の『偏愛』コレクション」)で知られるように、好きなものはとことん愛するのが身上で、その偏愛リストの根っこにあるのは、関西の人・街・文化です。そんな南光さんに、愛のある独断と偏見で関西人気質を解剖してもらいました。

 関西人気質と一口に言うてもいろいろありますけど、一番は「人に決められたくない」生き物ということちゃいますか。東京の人は雑誌とかインターネットとかで「ここの何がおいしい」と聞くと、行列に並びに行って、ほんで「おいしかった」て言うでしょ。関西人は、そんなことには惑わされない。なぜなら自分の目・鼻・舌を信じてるから。テレビに出てる人が「これおいしいよ」「これ面白いよ」と言うても、「ほんまか」とまず疑ってかかります。ほんで実際に行って気に入らんかったら、「おいしないやん」「おもろないやん」と必ず言います。

 言い換えれば東京には評論家がいてて、東京の人はその評論家の言うことを信じる。関西人はというと、全員が評論家。そういう意味では、私は自分がとても関西人やと思います。だいたいテレビで「おいしい」とか言うてるのは7割ウソやと思う。そない万人がうまいと思うもの、世の中にないでしょ。私も番組で何か食べることありますけど、ほんまにうまい時しか「うまい」と言わない。あとは、顔で表現してる。見てた人に「あれ、おいしなかったんでしょ。顔見たら分かったわ」て、よう言われます(笑い)。

 関西人というと、どぎつい大阪のおばちゃん、みたいに言われますけど、あれは勝手に作られてるイメージで、そんな人は一部ですよね。だけど、何かを買(こ)うた時に「値打ちある」「もと取った」ていう考え方はある。今の言葉で言うとコストパフォーマンス? あんまり好きな言葉やないけどね。コスパなんて言葉が言われるずっと昔から、関西人はそれ考えてます。高い安いじゃないんですよ。自分が納得すればいい。一人一人が自分の価値観をしっかり持ってるからでしょうね。

聞き手・山田夢留

法善寺の境内に立つ桂南光さん=大阪市中央区で、山田尚弘撮影
法善寺の境内に立つ桂南光さん=大阪市中央区で、山田尚弘撮影

笑わす 負けん気

 「がめつい」「ケチ」などのイメージで語られる関西人ですが、個々人が自分の価値観を持ち、モノの値打ちを見極める力があればこそ、と南光さんは言います。関西人の特徴でもう一つ、必ず出るのが「面白い」。2人寄れば漫才が始まる、とも言われますが、実際はどうでしょうか。

 やっぱり関西人は面白いことにたけてると思います。そこらにいてるおっちゃんおばちゃんも面白いじゃないですか。ただそれは、シャレや冗談を言う面白さだけじゃなくて、楽しむことにたけてる、というのかな。僕はそこに、負けん気があると思てるんです。負けん気と言うても、「何くそ」と持続する根性みたいなんじゃなくて、もっと瞬発的な何かです。

 随分前の話ですけど、大阪・難波で噺家(はなしか)4人で喫茶店入ったんです。注文取りに来たのが若い女性の店員さん。示し合わせたわけちゃうけど、僕らが「アイスコーヒーください」「僕はコールコーヒー」「レーコください」「冷たいコーヒー」て注文した。何も言わんとすっと下がったその子、アイスコーヒー四つ持って来たかと思うと、「アイスコーヒーでございます」「コールコーヒーです」「レーコです」「冷たいコーヒーです」とそれぞれの前に一つ一つ置いて、しゅっと帰ってった。「僕ら負けたで、おい」言うてね(笑い)。もちろん個人差はあるけど、人がなんかおもろいこと言うたら、負けんように違うことで笑わす。小さい頃から友達や隣近所の人とそういうことしてるから、日常生活で鍛えられるんやろね。

 上方落語では「地獄八景亡者戯(じごくはっけいもうじゃのたわむれ)」に代表されるように、途中で主人公が替わっていく噺がいくつかあります。それから、噺の筋には関係ないけど面白い、というセリフのやり取りがとても多いんですよ。江戸落語には元は上方のネタやったものがようさんあるんですが、あちらでは仕立て直されて起承転結がちゃんとなってる。こちらは、おもろいこと言うたらお客さん喜ぶやろ、というので、先人が貪欲に膨らましていったのが今も続いてるんやと思います。これも負けん気やし、言い換えればサービス精神ですよね。

法善寺横丁に立つ桂南光さん=大阪市中央区で、山田尚弘撮影
法善寺横丁に立つ桂南光さん=大阪市中央区で、山田尚弘撮影

「片意地」「てんご」

 東京一極集中の流れが続く中、関西が本場と言われるお笑いの世界でも、活動の拠点を東京へ移す人が増えています。南光さんはというと、拠点を移すどころか、関西弁のニュアンスを大事にするあまり、東京で落語をやることも実はあまり気乗りしていないのだと言います。

 「片意地」て言葉があるでしょう。「はてなの茶碗」という噺に「おやっさん、そんな片意地なこと言いないな」というセリフがあるんやけど、この「片意地」が東京で通じない。意味を聞かれたんで、「うーん、頑固かなあ」と答えたけど、頑固ともまた違うんですよ。関西でももう若い人は使わないけど、僕はこの片意地て言葉が好きでね。けど、その好きなニュアンスが東京では伝わらない。そういうことがちょいちょいあるから、落語が薄まってしまうような気がするんですわ。

 好きやのに伝わらない言葉は他にもあります。例えば「てんご」。いたずらってことやけども、軽いものから笑って済ませられへんようなものまで「てんご」はめっちゃ幅広い。それから「こうつと」。これは日常生活だけやなく、落語の中でももう絶滅してるけど、うちのおやじやおじいちゃんも使てたし、米朝師匠も使てはった。つなぎ言葉みたいなんで、「こうつと、あれをどこへしもといたんかいな」とかって使う。なんか好きですね。

 関西人といえば「いらち」な人が多いけど、この「いらち」も東京では伝わりません。短気ともまた違う。でも今は、関西でもそういうニュアンスは分かりあえなくなってきてますね。僕が噺家になった頃から、六代目笑福亭松鶴師匠は「ちゃんとした大阪弁使える噺家がおらんようなってきた」て言うてはったぐらいで、言葉というのは変化していくから。ただ、言葉以外も大阪は変わってしまいましたね。

「出し合う」希望

 この50年、大阪の街はめまぐるしく姿を変え、「古きよき」大阪を感じられる場所がほとんどなくなってしまったと、南光さんは嘆きます。少しでも関西の文化や伝統を次代につなぐべく、私たちにできることはあるのでしょうか。

 僕が入門した1970年に大阪にあった良い店は、ほとんどなくなりました。例えば道頓堀なら、昔の風情を今も感じられるのは「はり重」と「今井」ぐらいかな。芝居小屋もなくなったし、「大和屋」(宗右衛門町の老舗料亭、南地大和屋。2003年閉店)がなくなるんやからね。

 その点、同じ関西でも京都は違います。京都の人はイケズやとか閉鎖的やとか言われますけど、その閉鎖性があの歴史を作った。祇園祭に代表されるように、今もしきたりが残り、それを守らなあかんという意識が、町の人に共有されてますよね。

 大阪の街は残念ながら東京化してしまったし、行政が文化的なものを残そうとしない。僕は文楽が大好きなんですが、国立文楽劇場は別に造っていらんかったと思てるんですよ。国じゃなく大阪が、ほんまに文楽をやるのに向いてる劇場を造るべきでした。道頓堀の中座なんかも、よその国から借金してでも残しといたらよかったと思います。大阪は民の力が強いと言うたって、昔のように民間企業だけで文化を残すのは無理。建築家の安藤忠雄さんが呼びかけて、寄付金で桜並木を整備したような、「みなで出し合う」形は、新しい希望と言えるかもしれません。

(大阪毎日新聞発行130年記念別刷)

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