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なるほドリ

陵墓ってどう決められたの?

 なるほドリ 発掘調査の成果が発表された大山古墳(だいせんこふん)(堺市堺区)は仁徳(にんとく)天皇のお墓とされているんだよね。古いことなのに、誰のお墓かよく分かるね。

     記者 宮内庁は歴代天皇や皇族のお墓を「陵墓(りょうぼ)」として管理しています。陵墓となっている古墳の多くは、幕末から明治時代にかけて被葬者が決められました。近代の天皇制が形作られた時期で、背景には政治的な意図もあったと考えられます。

     Q 意外と最近だね。でも、根拠は?

     A 古事記や日本書紀など文献の記述、地名、地域伝承などでした。平安時代にまとめられた法令集「延喜式(えんぎしき)」には陵墓同士の位置関係を示す言葉があり、例えば仁徳陵は「百舌鳥(もずの)耳原(みみはらの)中陵(なかのみささぎ)」、履中(りちゅう)天皇陵(百舌鳥陵山古墳)は「百舌鳥耳原南陵(みなみのみささぎ)」、反正(はんぜい)天皇陵(田出井山古墳)は「百舌鳥耳原北陵(きたのみささぎ)」と記されています。現在の3陵の位置関係を見ると、この記述に基づいていることがうかがえます。

     Q でもそれって、正確なのかな?

     A 古代の資料でも、葬られてから時代の開きがあるため、すべて信頼できるわけではありません。さらに明治以降の考古学の成果から正確さに疑問の声も出ています。継体天皇は今城塚(いましろづか)古墳(大阪府高槻市)、斉明天皇は牽牛子塚(けんごしづか)古墳(奈良県明日香村)と、それぞれ陵ではない古墳に葬られている可能性が高いと考えられています。大山古墳も、見つかった埴輪(はにわ)から、仁徳の子である履中陵より後に造られた可能性が指摘されます。誰がお墓のあるじか断定できないので、多くの教科書で「仁徳天皇陵」から「大山古墳」などと表記が変わってきたのです。

     Q 間違っているなら直したらいいのに。

     A 明治時代に見直された例はありますが、宮内庁は「学説や時代によって変更されるのは望ましくなく、墓誌などの明確な根拠が見つからない限り変更しない」という姿勢です。また陵墓の法的な根拠である「皇室典範」に、変更に関する規定がないことを指摘する研究者もいます。陵墓は原則非公開で、国民に開かれた文化財とは違う扱いを受けています。今後どうしていくのが望ましいか、さらに議論が深まればいいですね。回答・花澤茂人(学芸部)

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