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「砂川事件と裁判」

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在日米軍飛行場の滑走路拡張を進める測量に反対する地元女性。「OFF LIMIT 立入禁止」の看板が掲げられた=東京都砂川町(現在の立川市砂川町)で1955年9月、東京本社写真部員撮影
在日米軍飛行場の滑走路拡張を進める測量に反対する地元女性。「OFF LIMIT 立入禁止」の看板が掲げられた=東京都砂川町(現在の立川市砂川町)で1955年9月、東京本社写真部員撮影

事件が起きたのは東京・立川

 第二次世界大戦で日本は1945年に降伏しました。51年には平和な状態を回復させるサンフランシスコ講和条約を各国と結びます。同じ日に米国とは軍事的な内容に関わる条約も結びました。日本の安全を守ることに米国が関わり、米軍を日本に駐留させる、というもので、のちに内容が改定されたことから、旧日米安全保障条約(旧安保条約)と呼ばれています。

 それから6年後、東京都砂川町(現在の立川市)にある在日米軍飛行場で事件が起こります。滑走路を伸ばすことに反対するデモ参加者の一部が立入禁止の柵を壊して基地内に入ったのです。日本の検察は旧安保条約に基づく法律を適用し、米軍が使う施設や地域を侵した罪にあたるとして7人を起訴しました。これが砂川事件です。

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