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若松孝二とその時代

2012年10月17日に若松孝二監督が突然の事故で逝ってから5年半余りがたった。「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」「キャタピラー」「水のないプール」「天使の恍惚(こうこつ)」「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」「犯された白衣」など、日本映画史に残る傑作、問題作を数多く残した鬼才の死を惜しむ声は今も少なくない。「映画を武器に世界と闘う」「日本映画界をブチ壊す」--。半世紀にわたって、体制への怒りと反抗心をむき出しにした若松監督がこの国にもの申し、時代を撃ち続けた力の源泉とは何だったのか。ゆかりの深かった関係者へのインタビューなどから、にんげん・若松孝二の原点と魅力に迫る。

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若松孝二とその時代

(14)俳優・柄本佑インタビュー 17歳、留年覚悟で現場へ

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 若松プロの新作「止められるか、俺たちを」は全国で好評公開中だが、1日から東京・テアトル新宿では早くも再上映が始まった。これも観客から熱い支持を受けた証しだ。

 「アンダーグラウンドのカリスマ」と呼ばれた若松孝二の快進撃は「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」(2007年)以降と見られがちだが、その先駆けとなった作品がある。連載企画「若松孝二とその時代」第14回は、若松監督にとってもターニングポイントとなった「17歳の風景 少年は何を見たのか」(05年)に主演した柄本佑さんのインタビューをお届けしたい。00年に岡山県で起きた17歳の少年による母親殺しの事件に触発された若松監督が、実母殺害後ひたすら自転車を北へ走らせたという少年の内面に着目。彼が何を見て感じていたのかを追体験するように撮り上げた「入魂の映像詩」である。

 「撮りたいものを撮る--」。撮影前に肺がんの大手術を受けた若松監督が「遺作にするつもりだ」と語った通り、「映画は自由だ」という若松イズムが濃厚に映し出されている。今をときめく俳優は「17歳の自分に強烈に刺さった」と振り返った。【鈴木隆】

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