ムッちゃんの手記が記事になって世に広まったことで、当時3人の子育てに追われる主婦でもあった中尾町子さん(79)=京都府木津川市=の生活は一変した。これまでは毎日を平凡に暮らし、平和の意味を深く考えることもなかったが、手記が思わぬ反響をもたらした。自宅には読者からのたくさんの感動を伝える手紙とともに、批判、中傷も届いた。「あいまいな記憶ではないのか」「捏造(ねつぞう)だ」--そんな手紙にも、中尾さんは丁寧に「正確な記憶です」と返信した。ただ、毎日新聞の福井逸治記者に相談すると、「返信しないで。私に全部送って」と言ってくれたという。
平和のあり方を講演などで問い続けている中尾さんの活動の原点は、6歳の時に防空壕(ごう)で出会った名前も知らない12歳の少女“ムッちゃん”だ。ムッちゃんは空襲で家族とはぐれ、大分市の親類を頼ったものの、肺結核のため防空壕に隔離されていた。終戦で誰も防空壕に行かなくなり、人知れず亡くなったという。ムッちゃんとの体験を新聞に投稿。それを記事にして広めたのが、元毎日新聞特別報道部長の福井さんだった。
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