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静かな部屋に響き渡る「カチャッ、カチャッ」という糸を弾く音。右手には糸、左手にはシルク生地を握りしめ、一つの工程を仕上げようと、若い「括(くく)り」の職人が、木製の作業台に向き合っている。京都の伝統産業「京鹿(か)の子(こ)絞り」。生地に括られた粒の数は、およそ数千個。着物の帯揚げとして知られ、豪勢なものでは、1枚の帯揚げに2万もの粒が彩られることもある。たった一人の職人が時間と手間をかけて、1粒1粒、手仕事で生み出していくのだ。
「生地に施された括りの模様が、小鹿の斑点に似ているところから、京鹿の子絞りと呼ばれています。歴史をたどると、江戸時代には何度も禁止令が出されるほどのぜいたく品です」。そう話してくれたのは、種田靖夫さん。京都市下京区で180年の歴史を持つ京鹿の子絞りの株式会社種田の代表だ。絞り染めの歴史は古く、平安初期の歌人である在原業平の百人一首の歌にも登場するなど、日本では千数百年も前から衣装の紋様表現として用いられてきた。
「多くの方に愛される絞りですが、職人の平均年齢が70歳を越え、後継者不足への悩みが深刻になりました。でも、不思議なご縁から30歳の未来の職人を採用することができたんです」。種田さんの横には、高い集中力を持って、そして何よりもうれしそうに括りの技術を学ぶ若い男性がいる。技術習得までに長い時間がかかるといわれる京鹿の子絞り。この世界に新たに飛び込んだ上田倫基さんは、一つのことに過度に集中してしまう発達障害に悩まされてきた。「障害のある方の中には、手先が器用で高い集中力を持つ方もいる。その方の特性にあったサポートさえできれば、伝統工芸の高い技術を習得できると感じたのです」。上田さんが悩んでいた過度の集中力。それは言い換えると、一つの物事を完璧に仕上げることができる職人に似た能力を潜在的に持っているともいえる。
京都市は今、「伝統産業×(かける)障害者福祉」という組み合わせを「伝福連携」と名付け、後継者不足に悩む伝統産業の担い手に、特定の能力を持った障害のある人たちをつなげる取り組みにチャレンジしている。種田さんと上田さんとの出会いも、その一つだ。
京都の鹿の子絞りは、一部の工程を中国をはじめとした海外に依頼している現状がある。「上田さんの前向きさ、集中力、器用さを見ていると、伝統産業の未来に光を感じます。障害のある方が、次の世代へ技術を継承する日も夢ではないと思うのです」。伝統産業の救世主と期待される障害のある人たち。新しい担い手の登場により、伝統工芸品のすべての工程を以前のようにオールジャパンでつくれる日も近い。=次回は1月25日掲載予定
■人物略歴
なかがわ・はるか
1978年、兵庫県伊丹市生まれ。NPO法人チュラキューブ代表理事。情報誌編集の経験を生かし「編集」の発想で社会課題の解決策を探る「イシューキュレーター」と名乗る。福祉から、農業、漁業、伝統産業の支援など活動の幅を広げている。