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「平成」に代わる新元号は「令和」に決まった。30年前の平成改元から令和改元までに、舞台裏で何が起きていたかを追った。

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沖縄と元号/中 「昭和」へわだかまり

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沖縄戦で亡くなった人たちの名が刻まれた「平和の礎」の説明を受けられる天皇、皇后両陛下=沖縄県糸満市の平和祈念公園で1995年8月2日
沖縄戦で亡くなった人たちの名が刻まれた「平和の礎」の説明を受けられる天皇、皇后両陛下=沖縄県糸満市の平和祈念公園で1995年8月2日

 「私たち県民は戦争の惨禍と異民族支配の犠牲をいやというほど強いられてきた」

 1979年6月8日付の沖縄の地元紙・沖縄タイムスの社説は2日前に成立した「元号法」を批判した。琉球新報も社説で「都道府県の中で、ひとり沖縄県議会が法制化推進の決議をしなかったことは大きな意味を持つ」とし、「戦争責任が天皇制に根ざすとの見方が強く、元号が天皇制に関わりを持ってきた事実は県民感情として受け入れがたい」と主張。全国紙各紙も批判的だったが、沖縄2紙のトーンは一段と高かった。

 戦後に法的根拠を失った元号の法制化請願は46都道府県議会で採択されたが、沖縄では審議未了に終わった。沖縄社会大衆党の県議だった仲本安一さん(83)は「沖縄では保守も消極的だった。米軍基地問題のような激しい議論をした記憶はない」と話す。東京で法制化運動の事務局を担った村上正邦・元自民党参院議員会長(86)も「沖縄は特殊な事情があると理解していた」と振り返った。

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