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「万葉古道」を尋ねて

万葉の時代の暮らしを支えた「古道」。わずかな手掛かりを頼りにいにしえの道を尋ねます。

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交流・別れ・流浪/32 春日野に登る/7 皇子らの栄枯見た高円山 /奈良

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「秋の七草」の一つのカワラナデシコ。志貴皇子の葬送の列の脇にも咲いていたかもしれない=奈良県曽爾村で2009年9月5日、栗栖健撮影
「秋の七草」の一つのカワラナデシコ。志貴皇子の葬送の列の脇にも咲いていたかもしれない=奈良県曽爾村で2009年9月5日、栗栖健撮影

 春日山から南に続くのが高円(たかまど)山(標高432メートル)。ふもとの傾斜地は、万葉時代には野が広がり火入れをしていた。大伴家持は妻の坂上大嬢に贈った歌で「高円の山にも野にも打ち行きて遊びあるけど」(巻八 1629)とその光景をうたった。万葉集では「高松」の字を当てた場合も含め、30首余りに「高円」が入っている。

 野は平城京の宮人たちには、春日野より気楽な行楽地だったようだ。高円の歌の植物はハギを筆頭にナデシコ、葛(くず)、ススキ、オミナエシ、桜など。いずれも開かれた野の草木。「高円の野の上の宮」と呼ばれた聖武天皇の「高円離宮」があり、志貴皇子の宮は白毫寺(奈良市白毫寺町)あたりとの推定がある。

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