「おなかが焼けるような苦しみだったそうです。自宅の刀で、兄は父に死を乞いました。育ててくれた父に……。これが、核兵器の恐ろしさなのです」
大分市高城台の田河豊子さん(79)は医学生で17歳の若さで亡くなった兄の克(まさる)さんの壮絶な死が忘れられない。
長崎市郊外に疎開していた6歳の時、被爆した。爆心地から9・2キロの家の台所で、すさまじい音と光、大地の揺れを感じた。大きなけがはなかったが、被爆の影響からか、小学生の頃は、貧血に苦しんだ。
一方、軍医を目指していた克さんは、爆心地から約500メートルの通っていた長崎医科大付属医学専門部(現・長崎大医学部)の校舎にいた。机の下に隠れたが、肩と口にやけどを負った。翌日、家に歩いて帰ってきたが、破けたズボン姿で、上着はなかった。
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