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加藤浩子の「街歩き、オペラ歩き」

火山の麓にそびえるゆかりの作曲家にささげられた神殿〜カターニア、ベッリーニ大劇場

ベッリーニ大劇場の正面ファサード

 自然が創った美しい景観が、時にいかに残酷になりうるか。

     シチリア第2の都市カターニアは、そのことを思い起こさせてくれる街だ。

     港町カターニアのシンボルは、街を見下ろしてそびえるエトナ山。港から眺めるエトナ山は、富士山が海を従えているように美しい。イタリアの港町の絶景といえば、ナポリ湾を見下ろして立つベスビオ山も有名だが、二つの峰がならぶベスビオ山より、ひとつの峰がなだらかに裾を広げるエトナ山のほうが優しく、眺めていて心が満ちる。

    噴火を繰り返してきたエトナ山 (C) Fototeca ENIT

     だがこの山、美しい外見とはうらはらにくせ者である。しょっちゅう噴火している、現役の活火山なのだ(実はこの原稿を書いている最中にも噴火した。おなじ火山国である日本の住民としては、どうにも気になるところだ)。エトナ山麓(さんろく)の街カターニアが、古代ギリシャ以来の長い歴史を誇るのに、現存している歴史的建築物の大半が18世紀のバロック様式なのは、1669年の大噴火と24年後の大地震でそれまでの街が消滅してしまったからである。もちろん大噴火はそれ以前にもあり、埋もれてはまた築く、が何度か繰り返された。そんな悲劇とは無縁だったシチリア第1の都市パレルモでは、ビザンチンやイスラムからゴシック、バロックまでさまざまな時代の建築がひしめいているのに比べ、カターニアの街中で目立つのは、スペイン占領時代の壮麗なバロック寺院ばかり。ところどころに顔を出している古代ギリシャやローマ帝国時代の遺跡は、火山灰の下から現れたものだ。

     とはいえ、いろいろな時代が同居しているぶん街もごちゃごちゃしているパレルモにたいして、ほぼ一気に造られたカターニアの街並みは整然とし、街歩きは快適だ。子連れのスリやバイクに乗ったひったくりに注意しなければならないのは、パレルモとおなじだが。

    カターニアの大聖堂

     街のシンボルである壮麗な大聖堂にも負けず劣らず美しい建物が、この街出身の大作曲家の名をつけた「ベッリーニ大劇場」である。ヴィンチェンツォ・ベッリーニ(1801−1835)はイタリアを代表するオペラ作曲家のひとりで、カターニアの街で音楽一家に生まれた。幼い頃から神童ぶりを発揮し、6歳で作曲を開始。流麗で格調高い旋律美は、ワーグナーやショパンら多くの作曲家から称賛された。旋律も優美なら、容貌も優男で美男。人妻からプリマ・ドンナまで大勢の美女にもてはやされた。だが体は丈夫とはいえず、33歳の若さでパリ郊外で世を去っている。遺骸はパリから故郷のカターニアに運ばれ、大聖堂に葬られた。

     ベッリーニの生家は、博物館として保存されている。生家や住家といった作曲家ゆかりの建物は、建物じたいに訪問価値があるせいか展示物は大したことがなかったりするのだが、ここではベッリーニの貴重な自筆譜が、大盤振る舞いとばかりにずらりと並んでいた。

    生家に展示されるベッリーニが使用したピアノ

     ベッリーニ大劇場は、郷土の誇りであるこの作曲家にささげられた神殿のような建物である。円柱に支えられ、てっぺんに彫刻をいただくファサードからして神殿風だ。どこかで見たような気がすると思ったら、パリの旧オペラ座をモデルにしたときいて納得した。

     内部も豪華絢爛(けんらん)。とりわけ、ベッリーニがまさに神のごとく昇天していくようすを描いた大天井画「ベッリーニの昇天」を、ベッリーニ・オペラのヒロインたちをテーマにした、やや小さめの8枚の絵が取り囲む天井は圧巻だ(エルネスト・ベルランディ作)。天井画を尊重したため、伝統的なオペラハウスにつきものの天井のまんなかから下がる大シャンデリアはなく、天井のぐるりに沿って小ぶりのシャンデリアがいくつも瞬く。大シャンデリアひとつより優美な景観だ。だて男のベッリーニも、これを見たら気に入るにちがいない。

    エルネスト・ベルランディによる美しい天井画

     宮殿を思わせるホワイエの豪華さも、他のイタリアの劇場にはあまり見られないもの。ホワイエの一番目立つところには、腕を組んだベッリーニの彫像が、ちょっと気取った表情でたたずんでいた。

     設計はイタリアの建築家、アンドレア・スカラ。1890年に落成し、ベッリーニの代表作にしてイタリア・オペラを代表する傑作のひとつ、「ノルマ」でこけら落としを行った。席数は614席と、豪華な空間を共有するにはもったいないような規模。なんともぜいたくな劇場なのである。

     そんなベッリーニ劇場では、劇場が非日常の、そして社交の場だという、イタリアの地方都市の劇場生活が生きている。1シーズンに上演される演目は、オペラとバレエ、両方合わせても1桁台。1演目ごとの上演回数も同様だ。観客の大半は地元在住で、劇場の定期会員になっている。公演の日は彼らにとって貴重な社交の機会でもあり、着飾ったシニアの夫婦が腕を組んでホワイエを行き交う。

    ホワイエに建つベッリーニ像

     一方、天井桟敷は若者やオペラファンの世界だ。身分社会の名残で、天井桟敷は入り口も別。専用のバールやホワイエもいたって質素だ。

     この手の劇場でチケットを手に入れるのは、実はとても難しいことがままある。定期会員は多いわ客席は少ないわで、売りに出るチケットじたいが少ないのだ。名の知れたアーティストが出なくても満席。安い天井桟敷席は空いていて、高い平土間席はいっぱい。そんな光景もまた、今時では珍しい。

    天井桟敷に沿ってシャンデリアが連なるのはとても珍しい

     どことなくのどかなそんな劇場では、客席の空気もいたっておうようだったりする。

     ずいぶん前になるが、ベッリーニ劇場で「ノルマ」を見た時のこと。劇中一番のハイライト、ヒロインのノルマが歌う有名アリア「清らかな女神」の山場で、携帯の着信音が鳴り響いたのだ。

     満場息を潜めた、わけでもなかった。金属的な音は何度か繰り返され、取り立てて慌てるふうもなく、悠々と消えていった。そしてプリマ・ドンナも、何事もないように歌い続けていたのだった。

     これぞ、イタリア。イタリアの劇場と付き合うには、アーティストも観客も、活火山にも驚かないような度胸と度量が必要だ。

    公式サイト

    筆者プロフィル

     加藤 浩子(かとう・ひろこ) 音楽物書き。慶応義塾大学、同大学院修了(音楽学専攻)。大学院在学中、オーストリア政府給費留学生としてインスブルック大学留学。バッハとイタリア・オペラをテーマに、執筆、講演、オペラ&音楽ツアーの企画同行など多彩に活動。著書に「今夜はオペラ!」「ようこそオペラ!」「オペラ 愛の名曲20選+4」「名曲を生みだした女性たち クラシック 愛の名曲20選」「モーツァルト 愛の名曲20選」(春秋社)、「バッハへの旅」「黄金の翼=ジュゼッペ・ヴェルディ」(東京書籍)、「人生の午後に生きがいを奏でる家」「さわりで覚えるオペラの名曲20選」「さわりで覚えるバッハの名曲25選」(中経出版)、「ヴェルディ」「オペラでわかるヨーロッパ史」「音楽で楽しむ名画」(平凡社新書)。最新刊は「バッハ」(平凡社新書)。

    公式HP

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