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1995年にウィンドウズ95が発売された当時、週刊誌記者として秋葉原を取材していた僕は、インターネットの大衆化にある種の高揚感を覚えた。これで日本が変わると思った。発信手段を持った一般の人たちが、権力が隠蔽(いんぺい)しているものを暴くことを期待した。だが現実は人々の醜悪な本音を引き出し、口にできなかったタブーを破る方向に向かった。
沖縄をめぐるフェイクニュースのまん延には、日本あるいは「日本人である自分」を強く意識しなければ物を語れない人が増えてきていることが大きく影響している。個人がまるで国家のようにふるまい、沖縄を批判する。大手新聞社やテレビ局はこうしたネットの言説を嘲笑の対象にはしても明確に批判してこなかった。「何を言ってもいい」風潮が生まれたのはメディアの姿勢も影響している。
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