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平成という時代

平成最後の年を迎えた。平成は、グローバル化やインターネットの普及を背景に社会が大きく変化し、価値観の多様化が進んだ時代だった。さまざまな変化を追うとともに、その先にある次代をどう描いていくべきか考えたい。

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第3部 変化/8(その2止) 「誰かがやらねば」 「自助」「共助」の先模索

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ボランティアの将来について語る頼政良太さん(右)と村井雅清さん=神戸市兵庫区で2018年12月6日、山崎一輝撮影
ボランティアの将来について語る頼政良太さん(右)と村井雅清さん=神戸市兵庫区で2018年12月6日、山崎一輝撮影

 

 「子どもたちに食べ物を届けてほしい」

 のちに宿泊研修施設「モリウミアス」を開設する立花貴さん(49)を宮城県石巻市雄勝町と結びつけたのは、ある中学校長の必死の呼びかけだった。

 2011年3月。立花さんは東日本大震災の発生直後に東京から地元・仙台市に帰り、食料も物資も不足している各地の避難所の状況を目の当たりにした。若くして起こした食品流通会社を辞めてから企業アドバイザーをしていた立花さんは、自己資金に加え、取引先からカンパを得て、マイカーで東京との間を往復して食料を運んだ。その活動を、共通の知人を持つ雄勝中学校長(当時)の佐藤淳一さん(58)が知った。

 校舎が全壊し、内陸の仮校舎に移った生徒77人に市から配られていた給食はパン1個と牛乳。津波による犠牲者が226人に上るなど地域全体が被災し、保護者も我が子に弁当を持たせられない。4月半ば、佐藤さんはすがる思いで立花さんに連絡を取った。

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