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若松孝二とその時代

2012年10月17日に若松孝二監督が突然の事故で逝ってから5年半余りがたった。「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」「キャタピラー」「水のないプール」「天使の恍惚(こうこつ)」「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」「犯された白衣」など、日本映画史に残る傑作、問題作を数多く残した鬼才の死を惜しむ声は今も少なくない。「映画を武器に世界と闘う」「日本映画界をブチ壊す」--。半世紀にわたって、体制への怒りと反抗心をむき出しにした若松監督がこの国にもの申し、時代を撃ち続けた力の源泉とは何だったのか。ゆかりの深かった関係者へのインタビューなどから、にんげん・若松孝二の原点と魅力に迫る。

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若松孝二とその時代

(16)「止め俺」音楽担当、曽我部恵一さんインタビュー

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「反体制や遊びの精神に強い関心がある。『止められるか、俺たちを』の舞台になった時代は、自分が生まれた時期でもある。一つの原風景のような意味合いもあって追いかけていた」と語る曽我部恵一さん=鈴木隆撮影
「反体制や遊びの精神に強い関心がある。『止められるか、俺たちを』の舞台になった時代は、自分が生まれた時期でもある。一つの原風景のような意味合いもあって追いかけていた」と語る曽我部恵一さん=鈴木隆撮影

 若松プロの新作「止められるか、俺たちを(止め俺)」(白石和彌監督)は2018年の映画各賞にノミネートされるなど話題を呼び、現在も全国で上映中だ。「若松孝二とその時代」第16回は、若松監督の旧作を探し求めて奔走するほどの大ファンで、「止め俺」の音楽を担当したシンガー・ソングライターの曽我部恵一さんのインタビューをお届けする。曽我部さんは1960、70年代のアンダーグラウンドの世界への造詣が深く、反権力といった若者文化への憧憬(しょうけい)を含め若松映画の魅力に引き寄せられていったという。映画と音楽の垣根を越えて、若松作品の自由な発想や表現がもの作りにとって不可欠と感じたからだ。映画の作り手でも専門家でもなかった若松孝二が時に冷笑されながらも半世紀近くにわたって映画界を生き抜き、大きな軌跡を残した根底には、映画に対する自由闊達(かったつ)さがあった。曽我部さんの言葉の端々からも自由への希求が強く感じられた。【鈴木隆】

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