日本文化問い続け 独自の「仮説」次々
■評伝
12日死去した哲学者、梅原猛さんは、単著だけで約100冊を記し、壮大な梅原日本学を構築する一方、国際日本文化研究センター(日文研)初代所長を務めるなど、戦後の京都学派最後の大物だった。気さくな人柄だったが、幼少期の家庭事情や戦争体験由来の孤独の影も宿していた。
「人影に気付くと、すぐ隠れようとする」。2012年、梅原さんは京都・東山の自宅で、小さな水槽にいるメダカをいとおしそうに見ていた。その動きに、自身の本心を見ているかのようだった。
婚外子で、旧家の養父母に育てられた。周囲の冷たい視線を浴びた。後年打ち出した大胆な仮説の源には、一…
この記事は有料記事です。
残り427文字(全文702文字)