高槻城跡から高山右近の堀跡 西日本で最古級「障子堀」発見

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高槻城跡で見つかった堀。上端部に石垣が築かれ、底には侵入者の動きを止める仕掛けが施されていた=大阪府高槻市野見町で2019年1月29日、山田尚弘撮影
高槻城跡で見つかった堀。上端部に石垣が築かれ、底には侵入者の動きを止める仕掛けが施されていた=大阪府高槻市野見町で2019年1月29日、山田尚弘撮影

 大阪府高槻市の高槻城跡で、キリシタン大名として知られる高山右近が城主を務めた戦国時代末期に掘られたとみられる堀跡が見つかり、市教委が30日、発表した。底に侵入者の動きを封じる仕掛けを施した「障子堀(しょうじぼり)」で、西日本では最古級の例。「築城の名手」と呼ばれた右近の姿に迫る発見という。

 江戸時代の二の丸跡に当たる城跡公園野球場跡地の発掘調査で、幅約16メートル、深さ約4メートルの堀跡が見つかった。南側の上端部には自然石を積み上げた16世紀後半の石垣が長さ約45メートルにわたって残り、石のバランスを保つ「胴木(どうぎ)」という木材が置かれるなど当時の先端技術が使われていた。また堀の中から「元和三(1617)年」と墨書された石材が見つかり、江戸時代初期の修築時に埋められたことも分かった。

 底には広さ2~9.7平方メートル、深さ20センチ~1メートルの不規則な方形の穴が掘り込まれ、掘った土を砕いて泥にして敷き詰めていた。攻め込まれた際に敵がぬかるみや段差に足を取られ転倒するなど動きを止める効果を狙ったようだ。

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