私は評伝や人物ルポを手がけてきて、他者の人生はそうたやすくは理解できないと考えている。資料にあたり、できるだけ多くの関係者に会うが、たとえ本人が語ったことでも、うのみにはできない。人は時にうそをつくし、無意識のうちに相手が、私の望む話を作ってしまうこともあるからだ。だからこそ、カルロス・ゴーン日産前会長の逮捕を踏まえて書かれた毎日新聞昨年12月13日夕刊コラム「体温計」には違和感を覚えた。
タイトルは「調書の中の人生」。筆者は知人の検事が、被疑者を取り調べて作成する供述調書は「(フランスの長編小説)『ジャン・クリストフ』を書くようなもの」だと語っていたと好意的に書く。まず、その感覚が理解できない。私には大作家に自分を重ねてしまう検事の感性が空恐ろしく思えるし、小説を創作する気分で調書を書かれたのでは被疑者が気の毒だ。また、政治家に賄賂を贈った経営者を取り調べた際、彼が幼少期に極めて…
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