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メキシコの麻薬王・エルチャポ裁判傍聴記(3)私の知人を殺したのはエルチャポの息子だった

 ニューヨーク市ブルックリン地区の連邦裁判所で、メキシコの麻薬王、ホアキン・グスマン(通称「エルチャポ」)を被告とする裁判が行われている。エルチャポの家族や記者、俳優、観光客までさまざまな人が傍聴に来る。

エルチャポの妻、エマ・コロネル(右)=ニューヨーク市ブルックリンで2019年1月30日、國枝すみれ撮影

法廷に入ると美人妻を探す麻薬王

 傍聴席は45人ほどしか座れない。被告人側傍聴席に座った際、「ぷーん」と強い香水の匂いがした。目の前に長い黒髪のメキシコ人女性がいる。エルチャポの妻エマ・コロネル(29)だ。大きく突き出た尻と太い太もも。ぴったりしたジーンズが体の線をより強調している。

 おそらく望むものはすべて手にいれることができたであろう麻薬王が選んだだけのことはあり、メキシコでセクシーな女に必要とされる要素を見事に体現している。失礼だと思いつつ、しばらく目が離せなかった。

 コロネルは、エルチャポのビジネス相手の麻薬密輸業者、イグナシオ・コロネル(通称ナチョ)のめいだ。地元の美女コンテストに参加した際に見初められ、18歳でエルチャポと結婚した。

 2018年11月に裁判が始まってから毎日欠かさず傍聴していたコロネルは12月17日、裁判所に来なかった。ニューヨーク・ポスト紙によれば、エルチャポはキョロキョロと不安そうに傍聴席を見回していた。3日間後の20日、コロネルはエルチャポとの子供である7歳の双子を連れて戻ってきた。エルチャポは涙を流さんばかりだったという。

 開廷は午前9時半。入室したエルチャポの目は必ず傍聴席の妻を探す。19年1月8日、コロネルが小さく手を振った。エルチャポは本当にうれしそうだった。

 コロネルは夫を励ますため、傍聴席の硬い木製ベンチに毎日7時間近く座っている。エルチャポと愛人との会話の録音が公開されても、愛人が出廷しても、その毎日は変わらない。

 1月30日、コロネルとトイレでばったり会い、勇気を振り絞って話しかけた。「日本の新聞記者です。記者会見はされないのですか?」。つたないスペイン語で話しかけると笑顔になったが、「ノー」と首を振る。

 「世界は私を忘れてほしい」。コロネルは別の記者にそう言ったという。そっとしておいて、という意味だ。

麻薬王脱獄の鍵を握った妻

 コロネルは可愛いだけの女ではない。エルチャポはメキシコで最高の警備体制を備えた刑務所から2度脱走しているが、2度目の脱走を支えたのは妻だったことが今回、暴露された。

 エルチャポの1度目の脱獄は01年だ。汚れた洗濯物を入れたカートの中に隠れて脱出した。

 14年に再逮捕されるが、翌15年に今度はトンネルを通って脱走した。シャワーを浴びるふりをして、シャワー室の床から約10メートルの縦穴をハシゴで下り、用意されたオートバイで長さ1500メートルのトンネルを駆け抜けたのだ。

 シナロア・カルテルの元幹部、ダマソ・ロペスの証言によれば、エルチャポは面会に来る妻を通じて、息子たちやロペスに脱走計画の指示を出した。コロネルは脱走計画を練る会議にも参加した。傍聴していた50人ほどの記者はどよめいた。逃亡ほう助も立派な罪だからだ。

 彼らはまず、刑務所の近くに土地を購入した。倉庫を建てて、屋内からトンネルの掘削を始めた。さらにGPS(全地球測位システム)機能がついた腕時計を刑務所に持ち込んでエルチャポの位置を正確に把握した。トンネルの掘削音は脱走の数カ月前から響きわたり、他の囚人がエルチャポの房の壁をたたいて抗議するほどだったという。トンネルを出たエルチャポは妻の兄弟が運転する車で飛行場に移動し、小型機でシナロア州の生まれ故郷に逃亡した。

 ロペスの通称は「リセンシアード」。大学出の人という意味だ。エルチャポが1993年から01年まで収監されていた刑務所の幹部で、エルチャポが刑務所で携帯電話を使えるようにし、関係者との面会にも便宜を図った。見返りにカルテルから家をプレゼントされ、毎月の手当をもらっていた男だ。

 エルチャポは16年1月に逮捕され、17年に米国に移送された。ロペスによれば、エルチャポは3度目の脱獄を計画し、コロネルを通じてメッセージを送ってきた。「また脱走のリスクを取ろうと思う。助けてくれるか?」。しかし、移送されたため実現しなかった。

 3度目の脱走を警戒してか、コーガン判事は、エルチャポが傍聴席の妻や子供たちを抱きしめることを許さなかった。

残虐さを強調し、恐怖で市民を支配する

エルチャポが刑務所から部下に出した直筆の手紙=裁判資料から

 元右腕、ビジネスのパートナー、愛人、殺し屋、密輸機のパイロット――。検察側が呼んだ証人は14人。裁判が進むにつれ、証言内容はむごたらしさを増していった。

 1月24日、エルチャポ自らが手を下した殺人を目撃した殺し屋が証言した。概略は次のようなものだ。

 対立するカルテル「ロスセタス」のメンバー2人がシナロア州の山中にあるエルチャポの隠れ家に連行されてきた。2人は何時間も拷問され、多くの骨が折れていた。エルチャポは2人の体を大きなたき火の横に並べさせた。侮蔑の言葉を吐き、ライフル銃で頭を撃ち抜いた。エルチャポは命じた。「火にくべろ。骨も残すな」

 エルチャポは尋問中の男の頭を撃ったこともあったという。男はまだ息があったが、そのまま墓穴に放りこまれ、埋められた。

 弁護するわけではないが、エルチャポが特段に残酷なわけではない。「ロスセタス」はより残虐なカルテルとして知られている。切断した数十人の遺体を積んだトラックを道路に放置する、陸橋から遺体をつり下げる、切断した頭を並べる――。

 カルテルは残虐であることを意図的に強調する。力を誇示し、密告や裏切りを防ぎ、市民を恐怖に陥れて支配するためだ。

 検察は盗聴した電話の音声や手書きの手紙を証拠として提出し、エルチャポが殺し屋を雇って、拉致や拷問、殺人を繰り返した、と主張した。エルチャポは刑務所の中からも殺害命令や許可を出していたという。

買収や脅しの通じない腕利き記者を狙って殺す

 メキシコ人ジャーナリストのハビエル・バルデスを殺害したのはエルチャポの息子たちだ――。前述の元幹部、ロペスが1月23日に証言した。

 やはりそうだったのか。バルデスは私の知人だった。カルテルに殺されたとは思っていたが、はっきり証言されると、衝撃を受けた。

 バルデスはシナロア州の地元紙「リオドセ」をつくった記者だ。カルテルに殺されることを恐れて紙面から犯罪や汚職の記事が消える新聞が多い中で、彼の報道は光っていた。パナマ帽をかぶった気さくなおじさんで、外国人記者にも惜しみなく情報を与えてくれた。私も、逃亡中だったエルチャポの足取りを追ってシナロア州に入った12年夏にお世話になった。バルデスはエビを食べながら、カルテルの現状を説明してくれた。危険な仕事をしているのに、とてもリラックスしていた。

 バルデスは17年5月、新聞社の前で拳銃の弾を6発撃ち込まれて死んだ。殺される前、ロペスにインタビューしていた。エルチャポの息子たちは「インタビュー記事の掲載を止めろ」と脅したが、バルデスは脅しに屈しなかった。「もう印刷機がまわっている」

 エルチャポが収監されていた刑務所の幹部だった時に取り込まれたロペスは、エルチャポが01年に脱獄してから本格的にカルテルで働くようになった。エルチャポの娘の名付け親になるほど信頼されたが、16年にエルチャポが逮捕されると、エルチャポの息子たちとの関係が悪化した。ロペスがバルデスのインタビューを受けたのは、「エルチャポの親戚を襲撃した」という他紙の報道を否定するためだった。

 ロペスは法廷で証言した。「彼は良いジャーナリストだった。倫理観があった。(エルチャポの)息子たちの命令に従わなかった。だから、殺されたのだ」

 カルテルは、買収や脅しの通じない腕利きの記者ばかりを狙って殺すのだ。そう思うと、涙が出てきた。

私は「自分だけ安全地帯に逃げた」のか

 バルデス事件は、私がエルチャポ公判を傍聴する一つの理由だった。彼の死に関係しているであろう男の顔をこの目で見たかったのだ。

 1回しか会ったことがないバルデスの死に、なぜこれほど痛みを感じるのか、自分でも分からない。責任を感じているからかもしれない。魅惑的だが、危険な麻薬の取材は、地元記者たちの助けなしには成り立たない。だが、外国人である自分は地元の記者よりも圧倒的に安全な立場にいる。メキシコでの勤務を13年に終えてから、うしろめたさは強まった。「自分だけ安全地帯に逃げた」という気持ちに今もさいなまれることがある。

 「俺もそうだ」。かつてメキシコ特派員で、「ザ・ラスト・ナルコ」を書いた米国人ジャーナリストのマルコルム・ベースがうなずいた。バルデスは友人だった。

 「外国人記者を世話するのはもうやめた方がいい、と言ったんだ。外国の新聞に記事が載ると、世界中からもっと記者が集まってくる。カルテルは目立つことが気に入らないかもしれない。その場合、殺すのは外国人ではなく、地元の記者だ」

 バルデス殺害の背景には諸説ある。ベースは「彼は汚職も追っていた。真相は分からない」という。

 メキシコでは18年1月から19年1月までに少なくとも19人のジャーナリストが殺害されている。【國枝すみれ、敬称略】

國枝すみれ

1991年入社。英字新聞毎日デイリーニューズ編集部、西部本社福岡総局で警察担当記者、ロサンゼルス支局、メキシコ支局を経て、2016年4月からニューヨーク特派員。05年、長崎への原爆投下後に現地入りした米国人記者が書いたルポを60年ぶりに発見して報道し、ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。

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