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90年前の豊国丸遭難記録 詳細に 死亡の船長、最期まで救命 襟裳沖

1929年の「豊国丸」遭難と事後処理の模様を記録した記録=愛媛県今治市波止浜2で2018年12月21日、松倉展人撮影
八木亀三郎の肖像画(愛媛県今治市・波止浜公民館蔵)
「救助は船舶相互の務め」などの言葉が残る大阪の船会社からの礼状=愛媛県今治市波止浜2で2018年12月21日、松倉展人撮影
八木商店本店資料館。庭の石の多くは船底の重りとして樺太方面から運ばれたとの説もある=愛媛県今治市波止浜で2018年5月16日、松倉展人撮影

 襟裳岬(北海道えりも町)沖で1929(昭和4)年に沈没し、死者・行方不明者が78人に達した漁場送り込み船「豊国(とよくに)丸」(2344トン、176人乗り組み)の遭難と事後処理を記録した貴重な資料が昨秋、確認された。【松倉展人】

 近代の母船式カニ漁業の草分けとなった愛媛県今治市の実業家、八木亀三郎(1863~1938年)率いる「八木本店」が、カムチャツカ半島でカニの缶詰工場を造るために豊国丸をチャーターし、遭難などについての記録を残していた。同店はサケマス漁やカニ漁、カニ缶詰製造などを手広く展開し、英国にも輸出した。

 昨年4月、亀三郎の居宅兼会社跡に戦前の蟹工船(かにこうせん)事業などの足跡をたどる「八木商店本店資料館」が完成。同館で2017年4月に東京の古書店から入手した亀三郎の関連資料約1900点を分析するうち、「東、陸、」という表題の1冊のファイルを見つけた。豊国丸の遭難関連資料だった。

 「東」は東海岸、「陸」は陸上工場を略したとみられる。館の資料分析に当たる同市の地域史研究家、大成経凡(おおなる・つねひろ)さんによると、豊国丸は八木本店がカムチャツカ東海岸で缶詰工場を建設するため、建築資材や機械材料、漁網、船具一式と従業員、労働者を乗せて函館港を出発。途中の襟裳岬沖でエンジントラブルのため漂流し、座礁・沈没した。

 豊国丸は船体が大きく割れて沈没する瞬間まで船長が乗船者の脱出を指示、無電長も救難信号を発し続けた。駆け付けた3隻の船が130人(遺体を含む)を救出したが、船長は遺体で見つかり、無電長は不明のままという。ファイルには63人の死者・行方不明者名簿がとじ込まれており、主な出身地は北海道、秋田、青森県。数え16歳から59歳の働き盛りだった。

 また、最も救助活動に貢献した汽船「天龍丸」を所有する大阪の船会社に、八木本店が救助費・謝礼金として1500円を支払ったことが今回、船会社からの礼状で明らかになった。当時は大卒者の初任給が70円あまり。礼状には「救助は船舶相互の務めにして特に御挨拶(ごあいさつ)を受くるも恐縮の次第」とつづられ、大成さんは「海に生きる者同士の心構え『シーマンシップ』を感じます」と語る。

 カムチャツカ東海岸での工場建設は幻となり、八木本店は海難翌月に函館市内の寺で追悼会を行った。同市の水産会社が「市民ニ頗(スコブ)ル好感ヲ与ヘ」と、慰霊の手厚さをたたえた手紙も見つかり、惨事後に各方面に手を尽くした八木本店の奮闘ぶりが伝わってくるという。

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