沖縄県民投票 政府への意思表示、怒りの歴史

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 米軍普天間飛行場の移設問題を巡り、沖縄県で14日告示された県民投票。沖縄の人々はこれまでも過重な米軍基地負担や普天間飛行場の県内移設問題に対して、住民投票や選挙、度重なる県民大会など民主的な手段で繰り返し意思を示してきた。沖縄県で2度目となる今回の県民投票もその延長線上にある。

 全国の米軍専用施設の約7割を占める過重な基地負担に対する県民の怒りが沸騰したのは、1995年9月に起きた米兵3人による少女暴行事件が起点だ。10月には日米地位協定の見直しなどを求める県民総決起大会が宜野湾市であり、約8万5000人(主催者発表)が参加。日米両政府は翌96年4月に普天間飛行場の返還に合意したが、条件は県内への代替施設の建設だった。

 96年9月、米軍基地の整理縮小などの賛否を問う全国初の県民投票が実施され、投票率59.53%で賛成が投票総数の89.09%に達した。普天間飛行場の代替施設となる海上ヘリポートの建設候補地とされた名護市でも97年12月に市民投票があり、建設反対が過半数を占めた。だが、当時の比嘉鉄也市長が投開票3日後に建設受け入れを表明して辞任した。

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