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第94回センバツ高校野球

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東邦 平成最後の春に 30年後の君たちへ/3 支え合う精神を 元エース・山田喜久夫さん(47) /愛知

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平成元年のセンバツで優勝した東邦でエースだった山田喜久夫さん=名古屋市東区で、高井瞳撮影 拡大
平成元年のセンバツで優勝した東邦でエースだった山田喜久夫さん=名古屋市東区で、高井瞳撮影

 <第91回選抜高校野球>

 --1988年のセンバツで準優勝したバッテリーがそのまま残り、周りからの期待も高かった。学校には全国からファンレターが殺到するなどプレッシャーがあったのでは。

 新聞などでも「忘れものを取りに行く」などと言われることが多く、優勝を期待されていることを強く感じていました。でも、それがプレッシャーになることはなく、むしろ声援に助けられました。甲子園のマウンドでは、アルプスからの声を聞くと力が湧きました。

 --1回戦の15奪三振・被安打3の完封に続き、2回戦でも連続完封と好調でした。甲子園で力を出し切るために必要なことは。

 練習のための練習ではなく、つねに甲子園を意識して練習することだと思います。「練習では試合のように、試合では練習のように投げろ」と当時の阪口慶三監督(現・大垣日大高校=岐阜県=監督)から指導を受けていました。ブルペンでは甲子園のマウンドをイメージし、練習通りの投球ができるように1日300球を投げ込み体に染み込ませました。だからこそ、甲子園では普段通りの投球ができたのだと思います。

 --甲子園はどんな場所ですか。

 甲子園のマウンドは驚くほど孤独です。ストライクが入らなくても誰も助けてくれないし、自分でどうにかするしかない。だからこそ、これだけ練習してきたと思える自信と日ごろのイメージトレーニングが大事になるのだと思います。

 --どのようなチームでしたか。

 互いに支え合っていました。控え投手の子は、登板機会に恵まれませんでしたが、試合後いつも「がんばれよ」と言って僕の腕をマッサージしてくれた。そういうやり取りの中で、「こいつのために何とか勝ちたい」と気持ちが引き締まりました。自分のためだけでなく、誰かのためにという気持ちが強さにつながるのだと思います。

 優勝した時は、みんなで勝ち取った優勝なので、控えの選手全員にメダルをかけてあげました。

 --息子さんも東邦に入り、2世代でのセンバツ出場となりますね。

 長男の斐祐将(ひゅうま)(2年)と、次男の聖将(しょうま)(1年)が東邦に入っています。2人ともレギュラーには入れていないけど、森田泰弘監督の指導の下で人間的に成長してくれている。斐祐将は応援団長としてアルプスで仲間を応援するそうです。自分が選手の時は、アルプスから聞こえる声が力になった。それぞれの形でチームに貢献して平成最後のセンバツで優勝してほしい。【聞き手・高井瞳】


 ■人物略歴

 やまだ・きくお

 1990年3月に東邦高を卒業後、ドラフト5位でプロ野球の中日に入団。99年に広島に移籍し、同年に引退。中日の打撃投手を務め、2014年に名古屋市にわらび餅店「喜来もち ろまん亭」をオープンした。野球塾「侍」を運営し、地元中学で野球指導にも携わる。

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