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若松孝二とその時代

(18)「止められるか、俺たちを」スタッフ座談会・下

「止められるか、俺たちを」スタッフ座談会。左手前から時計回りで井上淳一さん、大日方教史さん、白石和彌さん、辻智彦さん、大久保礼司さん、井上亮太さん=鈴木隆撮影

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 「若松孝二とその時代」第18回は、若松プロの新作映画「止められるか、俺たちを(止め俺)」で再結集したスタッフ座談会の後半をお届けする。顔をそろえたのは、監督の白石和彌さん、プロデューサーの大日方教史さん、脚本の井上淳一さん、撮影の辻智彦さん、照明の大久保礼司さん、助監督の井上亮太さんの6人。スタッフは通常、作品ごとに集まり、作品作りが終われば、次の別々の現場へと移っていく。監督の死後数年たって、常連のスタッフが再結集する現場はほとんどない。慣例を破ったのが「止め俺」だ。1960年代末から70年代初めの若松プロを描いた作品だが、半世紀前と現在の若松プロのスタッフの思いや生きざまが重なり合う。映画作りに情熱を傾け、もがき苦しむ姿は、時代を超えてオーバーラップする。若松孝二という大黒柱に思いを刻み込んで結集した6人の話は尽きなかった。【鈴木隆】

「知ったかぶるな」が口癖だった 

 ――若松さんのイメージと異なる部分を見つけたことは。

 井上淳一 「戦争と一人の女」(2013年)を監督した時などに痛感したんだけど、自分たちで金を出して、映画を作って、配給して、宣伝して、公開して、その金のリターンで次回作を製作するのがいかに大変かを自分で経験して骨身にしみた。若松さんと一緒にいて、雑な部分や金に関して批判的に見たけれど、そうならざるを得ないのが分かった。その結果で次の仕事ができる。あと1年長く生きていてくれたら、少しだけどその苦労を話すことができた。僕は今まで何も分かっていなかった、ごめんなさい、と言いたかった。

「キャタピラー」の撮影の合間に構想を練る若松孝二監督(中央が大日方教史プロデューサー、左から2人目が助監督の福士織絵さん)=若松プロ提供

 大日方 「止め俺」を作って、昔からこういうリズムでやっていて、変わっていないんだと感じた。若松さんって、一般映画を撮りだしてから、松竹とか大きな規模の映画でもちゃんとシステムの中で撮っている。あまり知られていないけれど、(製作費が)3億とか4億円の映画でも普通に撮れる。それがある日突然、そんなことがなかったかのような映画の撮り方を始めた。一体何だろうと思った。「17歳の風景」(05年)で「昔は(スタッフが)少なかった」と、いきなり13人で撮った。また、こういうふうに作り始めるのかなと考えたね。若松さんは、自信にあふれているように見せる人だけど、結構不安を抱えていた。「17歳の風景」みたいな作品を撮りきる意欲というか、神経のずぶとさはまねできるものではない。お勉強してとか、こうすればこうできるとか考える人じゃない。ズバズバと一気に撮った。

 ――「直感的」という人もいますね。

 大日方 直感があることで楽をしている人ではない。ものすごく悩むし、撮影に入ると眠れなくなる人。酒を飲まないと眠れないタイプ。寝ることに対しては神経質だった。

 井上淳一 弁当を余分に買ってどれだけ怒られたか。「本編」という言葉も嫌い。「使うな」とよく言われた。

 大日方 「俳優部」と言うと、そうした枠組みが嫌いなのか、いつも怒っていた。

 辻 「知ったかぶりするな」も口癖だった。

 井上亮太 「余分なものを買うな」とよく言われました。「完全なる飼育 赤い殺意」(04年)の時に、「南京錠を用意しろ」と大日方さんに言われて、若松さんに100円ショップで買って持って行ったら、めちゃくちゃ怒られた。どうして100円のことでこんなに怒られるのかと。助監督に親身になって、こんなことを言ってくれる監督はいないと思って、ひきつけられましたね。

「仕事」とは何かを教えてくれた

 ――辻さんと大久保さんはどんなところに心酔したんでしょうか。

「17歳の風景」の撮影は、真冬に新潟から北上するロケを続けた。スタッフはわずか13人で撮りあげた(中央左は若松孝二監督、後方左に大日方教史プロデューサー、その右は主演の柄本佑さん)=若松プロ提供

 辻 「17歳」から若松組に参加したが、劇映画は初めてだったし、若松さん以外の作り方を知らないまま、今に至っている。

 大久保 学生のころから映画オタクで、原田芳雄さんが好きで、「シンガポールスリング」(93年)の舞台あいさつを見に行って、そこから若松さんが憧れの監督になった。「17歳」の撮影では、トラックにカメラを乗せて新潟から北上したでしょ。民宿に泊まる合宿スタイルで飲んだり話したりするのが楽しかった。

 井上亮太 「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」(08年)の時に、大久保さんが小屋の中での明かりを、ろうそくを使ってライティングしているのを見て、若松さんが「井上よく見ろ、あれが『仕事』だ」って評価していた。

 辻 そうそう、「うちの照明は普通じゃないんだ」って自慢していた。

 ――シャイというか、ストレートにものを言わないところがあった。

 白石 怒られていると、俺は普通にムカついていたけどね。ただ、翌日はコロッと忘れているからね、若松さん。

 井上亮太 手のひらで転がされている感じはあった。ここぞという時、胸に刺さる優しい言葉を言われて、俺、単純だから、涙、流しちゃった。

 白石 亮太君は涙を流す率が高いよね。「連赤」で何度号泣したことか。その時、若松さん、満足そうな顔をしてた。

 辻 「連赤」の現場では、亮太君と俳優の大西信満さんに非常に厳しかった。

人間の幅を広げてくれた人

 ――皆さんそれぞれにとって、若松さんはどういう人でしたか。

 井上亮太 映画を一緒にやる前は漠然と大きな存在でしかなかったけど、仕事をしてからは、うーん、かっこいいってことですかね、男にホレるっていうか。僕が最初にホレたのは白石さんでしたけど、次に若松さん。

 辻 活字になったら、それ、かっこ悪くなーい? ここカットじゃない(笑い)。驚いたのは、昔の脚本を見ると、丁寧にカット割りしてあったこと。

 井上亮太 脚本はすごく直していましたね。「日本暴行暗黒史」の良いところは全部、若松さんが直したところだった。脚本は書かないみたいだったけど、書けたんじゃないかな。

 大久保 大人になってからこんなに怒られたことはない、っていうくらい怒られた。それが結構、うれしかったですね。印象深いのは、やっぱり「かっこつけるな」です。照明を担当していて、かっこつけている自分がいたんです。それを全部取っ払って、本質に向き合わせてくれた。これほど人生に影響を与えてくれた人はいません。

 辻 「止め俺」ができて、目の前にもう一度現れてくれて改めて大好きだったと実感した。こんな純粋に映画のことを考えている人はいないし、こんなに“薄汚い”と思わせる人、乱暴な部分が同居している人もいない。人間の幅を拡張させて生きている人。僕も30歳を過ぎてから最も影響を受けた人です。

 ――白石さんにとっては。

 白石 エネルギーの塊でしたよね。これからの映画作りで頑張らないといけない中で、大島(渚)さんや新藤(兼人)さんも含めインディーズ(独立系)の巨匠がいなくなって、自主上映をやっている人はみんな「インディーズ」って言っているけど、本当にインディーズの闘いができる人は多分いないと思う。

 「止め俺」がみんなの力でできたのは一つの勲章で、今後もっと大きい予算の映画があっても、一方でこういう勝負ができるということを……いわば、ナイフを隠し持っているようなスタンスを持つことができたのは若松さんがいたからです。60、70歳代になっても、ああいうエネルギーを持っていられるか、死の直前まで打ち込むエネルギーを持てたら最高です。

「師弟以上親子未満」

 ――「止め俺」は皆さんの一つの“武器”ということになりますか。

 白石 そうなるといいです。

「止められるか、俺たちを」の製作現場。中央奥が若松孝二監督役の井浦新さん。若松組のスタッフが再結集した撮影は和やかな中で進んだ=鈴木隆撮影

 大日方 僕にとってはオヤジみたいな感覚で、少し長すぎたかなと思うくらい(若松プロに)いましたから。若松プロに入った時は誰も(助監督らが)いなくて、3年間ぐらい同じ状況だった。社会人になってから入ってきたので手取り足取り教わって、親子に近いニュアンス。みんなと違って褒められたことは全然なかった。

 白石 そういえば、大日方さんを褒めていたのは見たことがない。

 辻 「連赤」の最後の頃、大日方さんが応援にきてくれて、それまでは亮太君や福士さん(助監督)が怒鳴られまくっていて、大日方さんが仕切ってみたら、若松さん、「大日方を見ろ。これが仕事だ」って言ってましたよ。

 白石 大日方さんだけは、どんなことをやっても絶対裏切らないって感じは持っていたように思う。

 大日方 随分前だけど、あまりに忙しくて「1本抜けさせてください」って言ったことがあったんだけど、若松さんはどうも(若松プロを)辞めたいと思っちゃったみたいで、電話をくれたことがあった。「このまま別れたら、街であってもイヤな感じだろう」って。結局、元のさやに戻ったんですけどね。

 井上淳一 「連赤」の時、若松さんが(大日方さんと白石さんがスタッフのメンバーに入っていなかったので)「両翼をもがれたようなものだ」と言っていて、2人が本当に大切(な存在)だったんだと思った。

 井上亮太 それが逆にエネルギーになったかもしれない。

 井上淳一 そうそう、2人なしでやってやるって。

 井上亮太 その、とばっちりがこっちに来た。怒られっぱなしだった。「俺は一人で映画を作ることができる」ということばかり言ってましたよ。

 白石 そういうのをエネルギーにできる人です。俺が「『連赤』をできない(手伝えない)」と言った時に、少し気落ちしていたみたいだけど、代わりに「井上亮太が(チーフ助監督を)できます」って推薦したんだ。

「普通」の現場がなかった

「止められるか、俺たちを」の撮影現場。中央奥に白石和彌監督、辻智彦カメラマンが立ち、吉積めぐみ役の門脇麦さん、若松孝二役の井浦新さん(左)に演技をつける=鈴木隆撮影

 井上淳一 若松さんとの関係性を、僕は「師弟以上親子未満」と言ってきたけど、親子関係(のような感覚)はみんなが思っていた。10代後半から20代前半の若者にそんなことを思わせてくれる大人に出会えて良かった。人が死んで、(葬儀で)あんなに泣いたのは若松さんだけ。若松さんの遺体に対面に行った時に、白石から「井上さん、触ってあげてくださいよ」って言われて、死に顔に触ったら、涙が止まらなくなった。脚本や監督、どんな映画をやるにも、若松さんならどう見るだろうって、いつも考える。常に僕の中の基軸です。

 ――皆さん、座談会で言い残したことは?

 白石 何を語っても、若松さんの全貌は語れないってことは確かです。もどかしいんだけど、最後までそういう感じだった。

 大日方 クランクアップ(撮影終了)の日が、これほど楽しかった監督はいない。やっと終わったかというより、話すネタがたくさんあって、一本終わるごとにいろんなエピソードが生まれていたから。

 井上亮太 同じ話を何回聞いても笑えますよね。

 白石 全員がオリジナルの(若松さんの)エピソードを持っている(笑い)。

 大日方 普通の現場っていうのがないってことです。

 ――亡くなって6年たっても、若松さんの話が尽きないですね。

 白石 「止め俺」という作品は、若松さんなら絶対やらない企画じゃないですか。それでいいと思ったんです。

(次回は3月3日掲載)

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