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明治維新期の宗教に脚光 現代の源流、探る本続々 廃仏毀釈やキリスト教流入など

「現代は『第2の廃仏毀釈』の状況だ」と話すジャーナリストの鵜飼秀徳さん=京都市右京区で、花澤茂人撮影

 明治維新から150年の昨年は、新政府が神道と仏教を切り分けた「神仏分離」からも150年だった。そのタイミングに合わせ、その時代の宗教界を取り上げた本の刊行が相次ぐ。当時を見つめ直す意義は何か。著者たちに聞いた。【花澤茂人】

     『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』(文春新書)は、ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳さんが、神仏分離に伴い発生した仏教への破壊行為「廃仏毀釈(きしゃく)」の背景に迫った。「以前の取材で、明治初期に薩摩藩(鹿児島県)で寺院と僧侶がゼロになったことを知り衝撃を受けた。なぜここまで徹底的に攻撃されなければならなかったのかを知りたかった」

     2年ほど前から鹿児島県や宮崎県、長野県などの廃仏運動が激しかった地域を歩いた。各地の当時の権力者が政府の顔色をうかがい過剰に反応したケースが目立つが「政府の財源確保の狙いも大きかった」という。「例えば観光名所でもある旧開智学校(長野県松本市)には寺院によく見られる唐破風(からはふ)がある。廃寺の建材が再利用された名残です」。仏具は溶かされて武器に、建物は校舎になった。「急速に軍事、教育の水準を底上げする時代の要請に、寺院は利用された」

     一方、「僧侶の堕落」も指摘する。歴史ある大寺院の住職が遊女の元に入り浸りひんしゅくを買ったという資料もあった。「寺請(てらうけ)制度にあぐらをかき弱者に寄り添うことを放棄した僧侶もいた。地域に求められ復興した寺院もある中、そうなれなかったのはそもそも必要のない寺院だったのでしょう」

     ひるがえって現代。過疎化や若い世代の寺院離れで寺院はまた危機を迎えている。「時代の激変の中で既存の宗教や僧侶への反発が起こる『第2の廃仏毀釈』だ。150年前に学ぶことは多い」と力を込める。

         ■  ■

    キリスト教などを含めた幕末維新期の宗教事情について話す龍谷大の岩田真美准教授=京都市下京区で、花澤茂人撮影

     幅広い視点で当時の宗教界を見直すのが論集『カミとホトケの幕末維新 交錯する宗教世界』(法蔵館)だ。「仏教が大変な目に遭い神道がもてはやされた、という単純な構図ではない」と編者の一人、龍谷大の岩田真美准教授(真宗学)は指摘する。

     キリスト教をめぐる状況が興味深い。当時のキリスト教認識を象徴するのが1827年に京都や大坂で「切支丹(きりしたん)」とされる人々が処罰された事件。「彼らの信仰は山中での修行で病気平癒の加持祈祷(かじきとう)ができるようになるなどキリスト教とは言い難かったが、周囲だけでなく本人たちも『キリシタン』と考えていた。既存の秩序をはみ出す存在を意味するようになっていた」

     そんな背景もあり、西洋の接近によってキリスト教が流入することへの警戒感が攘夷(じょうい)思想と結びつき宗教界にも広まる。国学者だけでなく多くの仏教者も積極的に排斥を訴えた。「仏教は江戸時代、儒学者や国学者からの排斥論にさらされていた。それに対する擁護論とキリスト教排斥論が一体化し、そこに自分たちの存在意義を見いだす僧侶もいた」。ただ、そうした動きが教団の現状への反省となり、明治以降の仏教改革につながった面もあるという。「明治維新は『断絶』が語られがちだが、暮らしや文化の面では継承されたことも多い。近世と近代の結節点として振り返ることで、現代まで続く底流を見つけることができるのではないか」と語る。

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