ドナルド・キーンさん死去

日本の「美」に魅入られ 新しい日本観伝える

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 ■評伝

 キーンさんがまだ何者でもなかった時代の新聞記事が残っている。<“青い眼(め)の太郎冠者”留学の米人博士が狂言習う>。1954年2月18日付本紙(大阪)は物珍しさもあって、大きく扱った。日本文学研究のために京大大学院で学ぶ身だった青年が後に海外の固定した日本観を破り、日本文化の国際化にとってかけがえのない働きをするとは誰が想像し得たろうか。

 「ワタシは実に運が良かったです」。お会いする度にこう語っていた。日本文学は当時、国際的にマイナーな存在で、先達はほとんどいなかった。欧米の日本熱が高まるなど時代の要請も重なった。しかし言葉の裏に透けるあくなき探求心、たゆまぬ努力こそが多くの人のつながりを生み、幸運を招き寄せていった。大江健三郎氏の海外翻訳のきっかけを作ったのもキーンさんである。フランス、中国など10の言語を操った天才が何かに導か…

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