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「被災者の気持ちを理解しようとしている姿を示すことが大切だから」。高松市に住む藤田敏則さん(70)は、津波で長女朋さん(当時29歳)を亡くした2011年の東日本大震災以降、毎年数回、東北へ足を運ぶ。今では熊本地震が襲った九州や、西日本豪雨の被災地へも。ボランティアとして通い続けた数は、8年ほどの間に70回を超えた。【山口桂子】
藤田さん自身も兵庫県西宮市に住んでいた1995年1月17日、阪神大震災を経験。一家5人にけがは無かったが、建てて半年ほどの自宅が被災した。当時自宅では和紙などを扱う創作ギャラリーを経営。生活再建が優先され置き去りにされる子どもたちが気がかりだった時、「自己表現させることがケアになる」と書かれた新聞コラムが目にとまった。翌月には企業の会議室などを提供してもらい、「移動絵描き教室」を始めた。
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