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ALL FOR 2020

東京へ ともに歩む

毎日新聞

障害者スポーツと社会との橋渡し役として期待される陸上の高桑早生=鳥取市のコカ・コーラウエストスポーツパーク陸上競技場で2016年5月1日、徳野仁子撮影

パラアスリート交差点

陸上・高桑早生「その先へ」 アジアのパラスポーツ、現状知ってほしい

 2020年東京五輪・パラリンピックが迫ってきました。13年の開催決定がこの前のことのように感じるのに……。

     いよいよプレシーズン。走り幅跳びと100メートルで出場を狙う11月の世界選手権は、成績次第で東京大会の出場が内々定します。トレーニングに集中するためにも、できるだけ早く出場権を得たいです。

     東京大会は自国開催というだけでなく、20代最後のパラリンピックになるので、特別な大会です。高校でパラ陸上を始め、26歳になりました。自分のライフプランでは、20代のうちに好きなことを好きなだけやることが大切と考えてきました。

     だから、28歳で迎える東京大会が、一つの区切りになると思います。状態をピークに持っていき、これまでの集大成にしたい。やりきった先に、メダル獲得という結果が待っています。

     昨年10月にジャカルタで行われたアジアパラ大会で、タイトル獲得を目指しましたが、目標を達成できませんでした。昨季、本格的に取り組んだ走り幅跳びでは6本中3本でファウルを犯し、描いたプランが崩れました。

     ファウルをしないのが自分の強みだと思い込んでいましたが、そうではありませんでした。踏み切りや気持ちのコントロールの難しさを改めて知りました。どこかで過信していたのかもしれません。

     アジアパラは3大会連続出場で強い思い入れがありましたが、結果を出せませんでした……。これが東京大会本番ではなく、本当に良かった。この経験を生かし、世界選手権や東京大会で同じ失敗を繰り返さないようにすることが、今やるべきことでしょう。

     自分の活動や考えを知ってもらい、20年の成功はもちろん、「その先」のパラスポーツやアスリート、社会につながってほしい。コラムの題名に、その願いを込めました。

     私が競技を始めた頃と今とでは、所属企業やスポンサーなど選手を取り巻く環境が全く異なります。パラアスリートがアスリートらしくいられることを、当時は想像もしていませんでした。

     東京パラリンピックという追い風もあり、私は運良くキャリアを重ねられています。それでも、まだ満足のいく環境に身を置けていない選手は、たくさんいます。よりよい状況を作るために、私にできることはまだあると思っています。

     アジア地域のパラスポーツ、特に女性の分野を盛り上げていくことも重要です。昨年のアジアパラ大会で、私のクラス「T64」は出場選手が少ないために単独で走り幅跳びを実施できず、障害に応じて決まるクラスを統合し、行いました。私を含め5選手中4人が日本選手でした。

     アジアでは、足を切断したクラスの女子選手が少なく、クラスを統合しなければ試合が成立しないのが現実です。私は統合により試合出場の恩恵を受けていますが、スタートラインにすら立てない人が、たくさんいます。パラスポーツの世界を知ることすらできない人もいるのです。

    高桑早生「その先へ」

     広州(中国)でアジアパラ大会が行われた10年から、女子選手を取り巻く状況は大きく変わっていないように思えます。貧困や医療技術の遅れ、宗教など、さまざまな事情が絡むので状況を改善することは容易ではありませんが、こうした現状を、日本の皆さんにも知ってほしいです。

     パラリンピックは昨年の平昌(韓国)、20年東京、22年北京と、夏季、冬季を通じて3大会連続でアジアで開催されます。アジアでパラスポーツがさらに発展する可能性は十分にあるし、好機だと思うのです。今後は女子選手の輩出にも、目を向けなければなりません。

    たかくわ・さき

     埼玉県熊谷市出身。小学6年で骨肉腫を発症し、中学1年で左脚膝下を切断した。慶大2年だった2012年、ロンドン・パラリンピックに初出場。15年世界選手権では走り幅跳びで銅メダルを獲得した。16年リオデジャネイロ・パラリンピックは同5位、100メートル8位、200メートル7位。NTT東日本所属。26歳。