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若松孝二とその時代

2012年10月17日に若松孝二監督が突然の事故で逝ってから5年半余りがたった。「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」「キャタピラー」「水のないプール」「天使の恍惚(こうこつ)」「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」「犯された白衣」など、日本映画史に残る傑作、問題作を数多く残した鬼才の死を惜しむ声は今も少なくない。「映画を武器に世界と闘う」「日本映画界をブチ壊す」--。半世紀にわたって、体制への怒りと反抗心をむき出しにした若松監督がこの国にもの申し、時代を撃ち続けた力の源泉とは何だったのか。ゆかりの深かった関係者へのインタビューなどから、にんげん・若松孝二の原点と魅力に迫る。

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若松孝二とその時代

(20)佐野史郎さんインタビュー 「若松監督も、唐さんも包容力があった」

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 若松孝二監督作品の出演者が時代とともに変わるのは当然としても、強烈な印象を残す役者はそういるものではない。「キスより簡単」(1989年)を皮切りに、遺作となった「千年の愉楽」(2013年)まで数多くの作品に出演した佐野史郎さんもその一人だ。連載「若松孝二とその時代」第20回は、若松監督が信頼を置いてやまなかった名バイプレーヤーのインタビューをお届けしたい。若松作品で主演は数本だけだが、その存在感は作品を側面から支えていた。佐野さんが状況劇場のメンバーになった80年から30年以上に及んだ若松監督との交友歴をたどってゆくと、状況劇場を主宰した唐十郎さんとの深い交わりもくっきりと浮かび上がってくるのだった。話を聞くうちに、60、70年代の新宿かいわいで深夜、「若ちゃん」と親愛の情を込めて呼んだという佐野さんと若松監督の会話の一端が今にも聞こえてきそうな気がした。【鈴木隆】

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