風光明媚(めいび)な漁業の島として知られる気仙沼市の大島と本土を結ぶ「気仙沼大島大橋」(全長356メートル)が4月7日に開通する。これまで島の生活は船により支えられてきたが、東日本大震災では一時孤立状態に陥るなど、「島」だからこその苦難にも見舞われた。
東北最大の有人島である大島で、架橋を求める動きが始まったのは1950年代。67年には県の計画に盛り込まれたが、「自然が荒らされる」などと反対する住民も少なくなく、長年停滞してきた。
しかし、60年代に5500人を超えた島の人口は2011年には約3200人まで減少。「大島汽船」の定期船が1日16往復しているが、高齢化により救急艇の出動回数が増加し、搬送時間や悪天候時の運航が課題になっていた。また、船で本土の職場に通う人が増え、大島に住む郷土史家の千葉勝衛さん(92)は「昔は多くの子供たちが漁を指揮する『船頭』に憧れたが、今はほとんどいなくなった」と価値観の変化を指摘する。
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