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日本文化をハザマで考える

第2回 西洋美術の「鏡」が日本の小説に与えた影響

ヤン・ファン・エイクの「アルノルフィーニ夫妻の肖像」(パブリックドメイン)

 昨春、ロンドンのナショナル・ギャラリーで展覧会があった。それは、フランドル人画家、ヤン・ファン・エイクの有名な15世紀の絵画「アルノルフィーニ夫妻の肖像」がビクトリア期(1837~1901年)の英国人画家に与えた影響を考察するものであった。ビクトリア期の画家にはジョン・エバレット・ミレイ、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハント、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスらがいる。

     「アルノルフィーニ夫妻の肖像」はイタリアの商人とその妻を描いたパネル画である。中心には凸面鏡があり、それには2人の後ろ姿と彼らが見ているもの――ドアから入ってくる2人の人物――が映っている。

     ロンドンのナショナル・ギャラリーは1842年にこの絵を手に入れ、展示したが、その展示はセンセーションを巻き起こした。6年後に結成された、英国の「ラファエル前派」の画家たちは、西洋美術はかの偉大なるルネサンス期の画家、ラファエルの後、活気を失ったと考え、ファン・エイクの「アルノルフィーニ夫妻の肖像」のようなルネサンス以前の作品にインスピレーションを求めたのだ。

     そのためラファエル前派の作品の中には、ファン・エイクの影響が明白で、鏡が絵の中心に置かれているものが多い。英国のビクトリア期の画家たちは、芸術そのものが世の中を映す「鏡」であると同時に、世の中を形作り論評するものである、という考えにとりつかれていた。

    夏目漱石

     夏目漱石は1900年、2年間の滞在予定でロンドンに到着した。美術に大変興味を持っていた彼は、ラファエル前派の絵画を注意深く観察し、その影響が作品にも見られるようになる。漱石が1906年に書いた小説「草枕」では、ミレイの傑作「オフィーリア」に対する考察が出てくるし、短編「薤露行(かいろこう)」では、ウォーターハウス「シャロットの乙女」とその魔法の鏡が描写されている。

     しかも漱石の前期の作品の中では、この「鏡」が重要な役割を果たしているものが多い。「草枕」では、主人公の画家がやってきた山の中の温泉は、「鏡が池」のそばにある。そしてその画家は、外の世界を直接描くことをやめて、鏡が池に写ったものを描こうとするのである。

    三四郎池

     「三四郎」では、ヒロインの美禰子がポートレートを描いてもらうところが描かれているし、東京大学にある鏡のような三四郎池は、この小説の中心に置かれている。

     しかし、ファン・エイクにまでさかのぼる、西洋美術における鏡の影響を強く受けた日本の小説家は漱石だけではなかった。川端康成の「雪国」の冒頭の、あの巧みなシーンである。汽車に乗った主人公が、突然奇妙な体の一部に気づいて驚く。それは、女性の目、そして男性の頭の一部が、窓の外が暗くなったために、突然鏡のようになった窓に写っていたのだった。そして、窓からの眺めとしては似つかわしくないが、その窓は奇妙に美しい汽車の他の部分の形をも彼の目の前に繰り広げるのであった。

    川端康成=鎌倉市の自宅で1968年10月17日、元毎日新聞出版写真部・米津孝さん撮影

     これは、漱石に対する現代の作家、川端の応酬とでも言えるものだ。キュービズムをはじめとする近代芸術の影響を受けて、「鏡」はもはやビクトリア期の愛らしさではなく、奇妙に超現実的で忘れがたい美意識を反映しているのである。

    @DamianFlanagan

    ダミアン・フラナガン

    ダミアン・フラナガン(Damian Flanagan) 1969年英国生まれ。作家・評論家。ケンブリッジ大在学中の89~90年、東京と京都に留学。93~99年に神戸大で研究活動。日本文学の修士課程、博士課程を経て、2000年に博士号取得。現在、兵庫県西宮市とマンチェスターに住まいを持って著作活動している。著書に「世界文学のスーパースター夏目漱石」。

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