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毎日新聞

東京パラリンピック開幕まで500日を前にインタビューに答える猪狩ともかさん=埼玉県所沢市で2019年4月10日、根岸基弘撮影

東京・わたし

仮面女子・猪狩ともかさん「パラは『オンリーワンの技』披露する舞台」

芸能活動への復帰を報告したライブで他のメンバーと歌う猪狩ともかさん(中央)=東京都千代田区で2018年8月26日午後8時40分、飯山太郎撮影

 アイドルグループ・仮面女子の猪狩ともかさん(27)は昨年4月、不慮の事故で車いす生活になりました。懸命にリハビリを重ね、8月末にはステージへ復帰。現在はパラスポーツなどのイベントに積極的に関わっています。2020年東京パラリンピックの開幕まで、13日で500日。世界最大の障害者スポーツの祭典を前に、パラスポーツの印象や東京大会への期待などを聞きました。【聞き手・飯山太郎】

     ――事故後、多くのパラリンピアンと接する中でパラスポーツの印象は変わりましたか。

     ◆事故の前は正直、パラスポーツのことを全く知りませんでした。選手の皆さんは本当に前向きで、障害をマイナスとは考えていないと感じました。

     体の機能の一部がないから「できない」と諦めるのではなく、工夫してできるようにしています。両脚に障害のある人は上半身を使った車いすの操作技術があり、視覚障害者は音を通じて耳を「目」にします。健常者にはないものを、たくさん持っています。

    車いすテニスに挑戦する猪狩ともかさん=千葉県柏市で2019年2月、アリスプロジェクト提供
    プロ野球・西武の試合で始球式を務めた猪狩ともかさん=埼玉県所沢市のメットライフドームで2018年9月9日、玉城達郎撮影

     ――そんな選手たちの祭典であるパラリンピックへの印象も変わりましたか。

     ◆自分の体のことを知るにつれ、自分にしかできない技を持つ人が集う場だと思うようになりました。それぞれが障害に応じて「オンリーワンの技」を披露する舞台だと思います。

     私は埼玉県出身で、(プロ野球の)埼玉西武ライオンズのファンです。事故後はライオンズの始球式で再び投げるのが目標の一つでした(昨年9月に実現)。しかし、練習を始めると腕や肩をけがしているわけでもないのに球を遠くに投げられませんでした。素人ながらも、投球動作には下半身の踏み込みが大事なんだと実感しました。

     最初はベルトで胴体を車いすに固定し、慣れたら徐々にベルトを外す。そう段階を踏んで練習したら、体をひねる動きができるようになりました。私と同じ脊髄(せきずい)損傷でも、損傷した部位が首に近いか腰に近いかで、リハビリのやり方や残された機能は違います。パラリンピックは多種多様な障害の選手たちが自分の体を知りながら、膨大な試行錯誤の末に「こうしたら、これができる」と生み出してきた技を競い合う舞台だと思います。

     ――パラスポーツには独自のルールがあります。

     そうですね。何か「平等」ということを考えさせられます。車いすバスケットボールは各選手の障害に応じて重い方から1~4.5の持ち点が決められ、一度にコートに入る5人の持ち点の合計が14点以内になるようにルールで決めています。車いすラグビーも同様の仕組みがあります。

     ゴールボールは視覚障害者が(視界を遮る)アイシェードをします。視覚障害でも障害の重さや物の見え方は、人によって異なることも知りました。だから、全く見えないように目隠しをすることで条件を平等にする。これは斬新でした。平等な条件を整えれば、障害が異なる選手同士も一つチームとして戦えます。

    パラスポーツへの挑戦に意欲を示す仮面女子の猪狩ともかさん=東京都千代田区で2018年10月4日、梅村直承撮影

     ――4月11日で事故に遭ってから1年になりましたが、どんな歳月でしたか。

     ◆目まぐるしかったです。いろんなことが変化した1年で、毎日いろんなことに慣れていかなければなりませんでした。事故に遭った直後は、自分が車いすに乗る姿を想像できず、考える精神的な余裕もありませんでした。日常生活も含め、小さな成功の積み重ねが今につながっています。たとえば床に落ちた物を拾うこと。最初はできませんでしたが、それが拾えるようになる。いろんなことが少しずつできるようになり、「あっ、私も車いすで生活できるようになるのかな」と思えるようになりました。やり始めたことがどんどんできるようになっていくのは、すごい喜びでした。その延長でスポーツがやりがいや生きがいになることは理解できます。

     ――先日、ブログで「不幸中の幸いリスト」を紹介されました。事故の4日後から「手が自由」などと前向きなことを記し、「強い人」だと称賛のコメントも寄せられました。

     ◆「車いすは不便であるけど不幸ではない」と自分に言い聞かせています。明るい発言をして自分を鼓舞すると、そういう自分でいられる気がするんです。一方で「乗り越えた」とは言い切れない気持ちもあります。入院当初に比べれば「ちゃんと生活できている」という実感はあります。でも、健常者として過ごした生活への未練みたいなものはあります。おそらく今後も未練が生じたり、自分を鼓舞したり……。行ったり来たりなんだと思います。

     ――前向きに物事に取り組む原動力は何ですか。

     ◆家族の支えが大きい面もありますし、私が明るく、元気でいることで喜んでくれるファンの皆さんがいるからでもあります。

     ――20年東京パラリンピックにどんなことを期待していますか。

     ◆競技の魅力を広く知ってほしいのはもちろんですが、障害者が外に出やすい街づくりが進んでほしいです。障害者用の駐車場がありながら、階段でしか入れない飲食店。バリアフリールームと言いながらトイレやシャワールームに必要な背もたれや手すりのない部屋のあるホテル。そんな現実を目にしてきました。私は体幹が半分ぐらい利きますが、背もたれがないと座っても体がよれてしまいます。座位も低いため、普通の高さでは椅子からシャワーまでの位置が遠いこともあります。ばらつきのあるバリアフリーの基準が、統一的なものになってほしいです。

     ――今後の活動を教えてください。

     ◆5月1日に千葉県の舞浜アンフィシアターで仮面女子のワンマンライブがあります。私も出演しますが、今回は初めて演出にも携わりました。仮面女子全体でも3年半ぶりのワンマンライブとなります。車いす席もあります。ぜひ見に来てください。また、パラスポーツについても、さらに勉強していきたいです。

    いがり・ともか

     2014年5月にデビューし、17年からアイドルグループ・仮面女子の一員として活動する。昨年4月11日に東京・湯島聖堂の敷地内で案内板の下敷きになる事故に遭い、脊髄(せきずい)を損傷。両下肢がまひし、車いす生活になった。8月に芸能活動に復帰し、パラスポーツのイベントやテレビ番組にも出演している。

    仮面女子の劇場公演に参加し、ファンの声援に応える猪狩ともかさん(中央)=東京都千代田区で2018年8月26日午後9時ごろ、飯山太郎撮影

    飯山太郎

    毎日新聞東京本社運動部。1974年、神奈川県生まれ。98年入社。仙台支局、東京運動部、東京社会部を経て2016年10月から大相撲を担当。パラリンピックは冬季の06年トリノ、夏季の08年北京と16年リオデジャネイロの3大会を現地で取材した。長女が農業を勉強している縁で、最近はカジュアルウエアが人気の作業服・作業用品チェーン店に足しげく通う。