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若松孝二とその時代

2012年10月17日に若松孝二監督が突然の事故で逝ってから5年半余りがたった。「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」「キャタピラー」「水のないプール」「天使の恍惚(こうこつ)」「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」「犯された白衣」など、日本映画史に残る傑作、問題作を数多く残した鬼才の死を惜しむ声は今も少なくない。「映画を武器に世界と闘う」「日本映画界をブチ壊す」--。半世紀にわたって、体制への怒りと反抗心をむき出しにした若松監督がこの国にもの申し、時代を撃ち続けた力の源泉とは何だったのか。ゆかりの深かった関係者へのインタビューなどから、にんげん・若松孝二の原点と魅力に迫る。

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若松孝二とその時代

(22)足立正生さんインタビュー・下 若松監督とパレスチナに行った理由とは

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若松孝二監督(中央)は仏カンヌ国際映画祭の帰路、足立正生さんとパレスチナへ行き、ゲリラと生活をともにする中で撮影を許可される。帰国後、「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」の上映運動を開始する=若松プロ提供
若松孝二監督(中央)は仏カンヌ国際映画祭の帰路、足立正生さんとパレスチナへ行き、ゲリラと生活をともにする中で撮影を許可される。帰国後、「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」の上映運動を開始する=若松プロ提供

 数多くの作品を世に送り出した若松孝二と足立正生さんの関係性ははたから見ても不思議だった。「若ちゃん」「アッちゃん」……仲良く呼び合っていたかと思えば、口論し合う。そこになれ合いがなかったことだけは確かである。2人の映画を見れば、それがよく分かる。足立さんの連続インタビュー(下)をお届けする連載第22回は、1974年から日本赤軍に合流して中東にいた足立さんの元を何度も訪れ、日本に強制送還された後も変わらずに交わった若松孝二の知られざる一面を記すことになる。恐らく2人のどちらが欠けたとしても、日本映画史に残る問題作は生まれなかったのではないか。性格も思想も異なる名コンビぶりが際立つインタビューをお楽しみいただきたい。【鈴木隆】

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