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使命感は終生衰えず 「核ある限り平和でない」原広司さん逝く

色紙に描き続ける原爆ドームの絵に囲まれる原広司さん。「戦争は暗い、見苦しい。平和は明るいものでないといけんからね」=広島市安芸区で2014年5月30日、大西岳彦撮影
原広司さん=広島市中区の本川小で2017年10月5日、竹内麻子撮影

 原爆ドームを描き続けた画家の原広司(はら・ひろし)さんが14日、悪性中皮腫のため死去した。

 「核兵器がある限り世界は平和ではない。そのことを身をもって訴えるドームの心を描かなくては」。原さんは30年以上、夏の日も冬の日も原爆ドームを色紙に描き続けた。

1996年12月に原広司さんが描いた500枚目のスケッチ。原爆ドームが世界遺産となったことを喜び、恒久平和を願った

 足腰が弱る数年前まで広島平和記念公園を毎日のように訪れ、そばを流れる元安川の水で絵の具を溶いた。絵には自身の思いも刻んだ。核兵器禁止条約採択の動きに反対する日本政府に憤り、2016年8月に描いた色紙に「あの日から71年過ぎたれどドームの祈願世界に届かず」と記した。同年9月には北朝鮮の5回目の核実験に「北朝鮮の原爆実験、断固反対!」と書き込んだ。

 使命感は終生衰えず、老人ホームに入った後の17年夏も自宅アトリエに戻っては縦横1メートル以上のキャンバスに向かった。「やらにゃいけんのんですよ」と、震える手で何時間も筆を走らせた。同年秋に作品を仕上げ、ドーム対岸の本川小に寄贈した。児童らに被爆体験を語る時はこう呼びかけた。「私が元気な間は頑張るけど、これからはあなたに責任がある。どうかそのことを忘れんように」

 証言活動を共にしていた山口恵司さん(68)=広島市東区=は「原さんは自分だけが生き残ってしまった、原爆が憎いという気持ちを抱えていた」と振り返る。本川小の岡田由佳校長は「原さんの遺志を受け継ぎ、平和な世界を築くために何ができるのか子供たちと考えていきたい」と語った。【竹内麻子、寺岡俊】

原爆ドームを描き続けた自身の作品を前にする原広司さん=広島市安芸区で2016年11月7日、山田尚弘撮影

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