旧優生保護法で強制不妊手術を受けた障害者らの救済法が成立した。
宮城県の60代の女性が初めて国を提訴してから1年3カ月。被害者の高齢化に配慮して与野党の国会議員らが救済を急いだ結果だ。
しかし、被害者が計7地裁に起こした国賠訴訟は今後も継続するという。一時金の320万円が著しく少ないことだけが理由ではない。
不妊手術の被害者は約2万5000人いるが、記録で氏名が特定できたのは3079人しかいない。しかも、プライバシーへの配慮を理由に本人へは通知しないという。これでは一時金が得られるのは少数にとどまる可能性が強い。
旧優生保護法は1948年に与野党議員の主導で成立した。当初は手術件数が少なく、議員らは何度も国会で予算増を要求した。厚生省(当時)は増えた予算を消化するため都道府県に手術の推進を求めた。「身体の拘束」「麻酔」「欺罔(ぎもう)(だますこと)」を用いることも認めた。
憲法違反ではないかとの地方からの質問に、法務府(当時)は「憲法の精神に背くものではない」と見解を示した。都道府県の優生保護審査会の決定に異議のある時は再審査を申請できることが根拠とされた。
ところが、厚生労働省が開示した資料では81年までの20年間で再審査申請はわずか1件しかない。
救済法では「おわび」の主語が「我々」という曖昧な表現にされた。安倍晋三首相は「政府としても真摯(しんし)に反省し、心からおわび申し上げる」と談話を発表したが、これで曖昧さが解消されたとは言えない。国の責任を明記するのが当然だろう。
救済法には国会が問題の経緯を調査することも盛り込まれた。
疑問の声は当初からあり、70年代には厚生省内でも強制不妊手術を疑問視する意見があったが、国家による人権侵害は続き、長年顧みられることがなかった。その構造を解明するには、独立した第三者機関による検証が必要ではないか。
「障害者は生きる価値がない」と元施設職員が19人もの重度障害者を殺害した相模原事件、性的少数者を「生産性がない」という自民党議員など、優生思想をうかがわせる風潮は今も根強い。過去の過ちに対する不断の検証が求められる。