「直文さんが生きたこと知ってほしい」初展示の遺族 原爆資料館リニューアル

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 25日に再開館した広島市の原爆資料館本館に、今も遺骨が見つかっていない昆野(ひの)直文さん(当時13歳)の弁当箱やかばんが初めて常設展示された。3世代にわたり遺品を大切に保管してきた遺族は「直文さんが確かに生きたこと、悲しむ家族がいたことを多くの人に知ってほしい」と静かに願う。

 直文さんは瀬戸内海に浮かぶ倉橋島(現広島県呉市)生まれ。1945年、県立広島第二中学校への進学を機に広島市の寄宿舎に入った。

 8月6日は爆心地から約600メートルの旧中島新町(現広島市中区)で、空襲による火災の延焼を防ぐため建物を取り壊して防火地帯を作る「建物疎開」に動員され、作業中に被爆死したとみられる。7日未明に姉の勝美さんらが島から漁船で広島に向かったが遺体は見つからず、食べられないままの弁当箱が入ったかばんだけが残されていた。資料館によると、同級生300人以上は12日までに全員死亡した。

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