「いま、日本の政治はおおきな岐路に立たされている。リクルート疑惑をきっかけに、国民の政治にたいする不信感は頂点に達し、わが国議会政治史上、例をみない深刻な事態をむかえている」
平成が始まった1989年の5月、自民党がまとめた「政治改革大綱」は、こんな文章で始まる。
前年発覚したリクルート事件で、「政治とカネ」の問題への国民の怒りが沸騰。それを解消するため自民党が打ち出したのは衆院の選挙制度を中選挙区制から小選挙区制を中心とした仕組みに変える改革だった。
政治資金も候補者選びも党内の派閥が仕切り、カネ集め競争と化していた点を改め、政党、政策本位の選挙に変えることだけが狙いではなかった。小選挙区制にすれば政権交代が起こりやすくなり、政治に緊張感をもたらすという改革案だった。
小選挙区制導入の功罪
大綱は選挙制度の変更は「わが党にとって痛みをともなう」とも記す。注目すべきは、政権を担い続けてきた自民党が野党転落も覚悟して政権交代の必要性を唱えたことだ。
この年11月ベルリンの壁が崩壊。世界が激動する中、万年与党、万年野党の55年体制のままでは日本はやっていけないとの危機感もあった。自民党を支えてきた経済界にも「政権を担えるもう一つの党が必要」との声が出始めていたのを思い出す。
その後、小選挙区制導入をめぐって自民党は分裂し、激しい権力闘争の末、94年に政治改革関連法は成立した。そして2009年の総選挙で民主党政権が誕生し、政権交代は実現したものの、あえなく瓦解(がかい)して安倍晋三首相の「1強時代」に至る。
再び、議会政治の危機である。
政党本位が強調されたあまり政治家の質が劣化し、自民党内にも活発な議論がなくなった--等々、小選挙区制の弊害が指摘されて久しい。
だが、政権が行き詰まれば別の党が政権を担う民主政治の当たり前の仕組みが必要だという改革の出発点が間違っていたとは思わない。
「安倍1強」を招いた最大の要因は無論、野党の非力さにある。期待を背負った民主党政権は内輪もめを繰り返し、統治能力を著しく欠いた。国民の失望感は今も消えない。
小選挙区比例代表並立制導入で政党数は減ると想定されたが、野党は分裂を繰り返す。自民党と違ってどんな政権を目指すのか。ビジョンも明確に提示できていない。単に制度を変えれば実力を伴った野党ができるわけではないという話でもある。
同時に安倍首相にも責任がある。
第2次政権発足から6年余。首相は民主党政権時代と比較して有利な経済指標を並べて野党批判を続けている。最近は「悪夢のような民主党政権」とまで語った。
国会は何のためにある
30年前、自ら政権交代を唱えた自民党の懐の深さはどこへ行ったのか。首相は自分と違う意見があること自体を受け入れられないようだ。
野党も国民の代表であるにもかかわらず、敵対視するばかりで合意を図ろうとしない。野党が準備不足の時期を狙って強引に衆院解散・総選挙に踏み切り、勝てば全ての政策が信任されたかのように胸を張る。
それはやはりフェアではない。公約作りをはじめ与野党が十分準備したうえで選挙で信を問うのが有権者にも有益のはずだ。
一連の改革は内閣主導の体制をどう作るかもテーマだった。かつては官僚が政策立案を支配してきた。それを変えるための改革だった。
ところがこれも、とりわけ第2次安倍政権下で内閣人事局ができて府省の幹部人事を官邸が握った結果、官僚が首相に意見を言えなくなり、「忖度(そんたく)政治」の状況を招いている。
政策決定を内閣に一元化するのは決定過程の透明度を高め、国民に見えやすくするのも目的だった。にもかかわらず森友問題では財務省の公文書改ざんという、まさに平成史に残る事件が起き、その後も記録を残さず隠す流れが強まっている。
与党を含めて政府をチェックするのが国会の重要な役割だ。それを果たせず、国会は内閣の下請けであるかのような状態が続いている。
首相は改革の原点を忘れ、制度の変更を都合良く利用してきたのではないか。そんな思いを強くする。
日本がもっぱらモデルとしてきた英国を含め各国で民主政治の危機が叫ばれている。なおさら令和の改革は、国会とは何か、政党とは何かという一からの議論が必要となる。