(筑摩選書・1944円)
二代に亘(わた)る聖書神学の大家が、父君ゆかりの対象と取り組んだ浩瀚(こうかん)な大作である。悪かろうはずはない。しかし、読む前、実は一抹の危惧はあった。何せ著者は(あるいは「著者も」かしら)、国際的な盛名を馳(は)せる聖書学の碩学(せきがく)である。心情的にのみ傾倒している評子とは違って、内村の信仰には学問的に大きな批判もあるのではないか。もともと内村の生きた時代においてさえ、また一度は内村に従った人々の間にさえ、批判を抱いて離れた人も多く、より広い世界からの批判者はもっと多数に上った。
その頃に比べて、現代神学は、文献学的な場面に限っても、多くの新しい成果が積み重ねられてきた。そうした立場からの、内村への批判は、特に著者のような専門家にとって、あって当然だろうし、実際、そういう種類の批判は、現代に目立ってもいる。しかし、評子の「危惧」は杞憂(きゆう)に終わった。著者の内村への眼差(まなざ)しは根本的に温かい。無論批判はある。しかし、著者は「批判」という一般用語と「クリティーク」…
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