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東京へ ともに歩む

毎日新聞

倉橋香衣さん(中央)=東京都品川区で、小川昌宏撮影

パラアスリート交差点

車いすラグビー・倉橋香衣「楽」1人暮らしの選択は決して間違ってはいない

 埼玉県内で1人暮らしをしています。鎖骨から下は体が動かず腕にも障害があり、生活に不便が生じることもありますが、工夫次第でどうにでもなるものです。

     文教大(同県越谷市)進学を機に地元を離れて関東地方で暮らし始めました。大学3年の時にけがをして、実家に戻る選択肢もありました。でも、関東に知人ができ、車いすラグビーにも出合いました。環境を変えずにプレーを続けたいという思いがあり、1人暮らしを希望しました。

     兵庫県内で取り組んだリハビリなどを通して、日常生活を送るための体の使い方や料理、入浴方法を学び、何度も練習しました。私はかがむことができないので、靴を履く時は片足を太ももまで持ち上げて着用します。最初はできなくても、自分の体のメカニズムを学び、練習を重ねれば慣れていきます。元々体を動かすことが好きだったので、リハビリは苦しくありませんでした。

     2014年に段差のない物件を見つけ、再び自立しました。腕を真っすぐ伸ばすことや真上に上げることができないので、棚の引き出しは高くても肩の位置までにとどめ、低すぎて届かないところには取っ手につけたひもを活用し開閉します。腕が届く範囲に物を置けば、特別な道具は必要ありません。自炊もしています。自動車の運転だってできるのです。

     ただ、今でも着替えるのに1時間近くかかることがあります。実家で家族の手助けがあれば、もっとラグビーのことを考えるなど、時間をより有意義に使えると思いますが、自立して生活することには何かしらの意味があると考えています。

     日常生活で失敗することもありますが、日々学び、そして対応力は身につきます。さまざまな人との出会いやつながりも生まれます。ラグビー仲間が工夫しながら生活し、プレーしている姿からアイデアを拝借することも多いです。知恵は増えました。

     たまに実家に帰りたいなって思うこともあります。でも、1人暮らしの選択は決して間違ってはいませんでした。普段は気を張って生活しているのかもしれませんが、親が自宅を訪れてくれた時や帰省した際は、体調を崩すこともあります。

     ラグ車(競技用車いす)を走らせることができ、今も大好きなスポーツを続けられています。私を含め、さまざまな障害者が相まみえる車いすラグビーには、魅力がいっぱいあります。健常者だった方が生活は楽だったかもしれません。それでも私は、今を大切にしたいと思っています。

     最後に、日常生活での不満を少しだけ述べたいと思います。外出先の駐車場で、もっと簡単に車を止められたら助かります。

     機械によっては、車内から駐車券を受け取れないことがあります。その経験もあって、外出に臆病になることもあるのです。そういった事情で外出先が限定されるのは、とても残念です。

     あと障害者優先の駐車スペースを一般車両が使用しないようにコーンが置かれていることもありますが、そのことにも苦労しています。私は素早く車を降りて、自らコーンを移動させることは難しいです。大声で叫んで助けを求めることもできますが、配慮があるとうれしいですね。

    元号が令和に変わりましたが、どんな時代にしたいですか?

     平成で最初に思い起こすのは、1995年の阪神大震災です。当時4歳だった私は神戸市兵庫区に住んでいました。大きな揺れに勉強机が倒れ、足を挟まれました。父に声を掛けられた私は「大丈夫大丈夫。でも足挟まってるー」と叫んだそうです。その後は避難所生活も経験しました。

     大学生の時にトランポリンでけがをして障害者になりましたが、車いすラグビーと出合えたのは、その前からスポーツに親しんでいたからです。今は好きなように生きています。令和の目標は、まずはパラリンピック出場です。

    くらはし・かえ

     神戸市出身。小学1年から高校までは体操に取り組み、文教大でトランポリンに転向。大学3年だった2011年、トランポリンの練習中に頸髄(けいずい)を損傷し、鎖骨から下の多くの機能を失った。15年から本格的に車いすラグビーを始め、18年世界選手権で日本の初優勝に貢献。商船三井所属。28歳。