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仮設住宅で入退院 乳がんの瑠美子さん亡くなる 熊本地震被災

夫豊三さんが「この写真が一番好き」とスマートフォンの待ち受け画像にしている、梶原瑠美子さんが闘病中に子どもの誕生日を自宅でお祝いした際の写真=豊三さん提供
がんと闘い続けた梶原瑠美子さん=遺族提供

 2016年4月の熊本地震の避難生活で乳がんの発見が遅れ、闘病を続けていた熊本県南阿蘇村の主婦、梶原瑠美子さんが、5月21日に入院先の同県阿蘇市の病院で亡くなった。34歳だった。3人の子どもの成長を糧に一日一日を生きた瑠美子さんは「(35歳となる)7月7日の誕生日を迎えたい」と語っていたが、かなわなかった。夫豊三さん(39)は「瑠美ちゃんのことで、一人でも多くの人が乳がんの検診を受けてくれたらうれしい」と語り、愛する妻と過ごした日々を振り返った。

看護師からウイッグをプレゼントされた梶原瑠美子さん(手前)=熊本県大津町の熊本セントラル病院で2019年5月15日、佐野格撮影

がんの判明

 瑠美子さんは、南阿蘇村で生まれ育った。地元の友人を介して高校時代に知り合った豊三さんと交際を続け、結婚。長男蒼佑(そうすけ)さん(7)、次男琉心(りゅうしん)ちゃん(5)、三男碧志(あおし)ちゃん(3)と子宝に恵まれた。

 しかし、16年4月16日の本震で南阿蘇村の自宅は損壊した。村内にある豊三さんの実家に避難していた同年6月、フリーアナウンサーの小林麻央さん(17年6月に34歳で死去)が乳がんの闘病を公表した。ニュースを見て「私はどうかな」と右胸を触ると、ビー玉ほどのしこりがあった。まさかと思いつつ村外のかかりつけだった産婦人科を受診。当時は碧志ちゃんの授乳中で、母乳のつまりとされ、別の病院では「授乳中は検査ができない」などと言われた。

「もっと一緒にいてあげればよかった」と梶原瑠美子さんへの思いを語る夫豊三さん=熊本県菊陽町で2019年5月29日、佐野格撮影

 地震前なら車で約20分だったかかりつけの産婦人科が、橋の崩落で2時間近くかかってしまう。家事や育児、仮設住宅への入居準備や「家計の足しにしよう」と始めたパートなど慌ただしい日々の避難生活。つい自分のことは後回しになってしまった。しこりの発見から約4カ月、立っていられないほどの痛みを腰に感じた。検査の結果、肺や肝臓、骨などに転移したステージ4の乳がんと判明。医師から「完治はできない。普通の生活ができるようになるまで頑張りましょう」と告げられた。「何で私なの」。感じたことのない絶望感に襲われ、同席した豊三さんと一緒に涙が止まらなかった。

脚のマッサージを受ける梶原瑠美子さんに優しく話しかける夫豊三さん=熊本県大津町で2019年5月14日、佐野格撮影

闘病生活

 仮設住宅で暮らしながら入退院を繰り返し、抗がん剤治療と右胸摘出。副作用で髪の毛が抜け、がんの影響で腰の骨も折れた。子どもを抱きかかえることさえもできなくなった。それでも必死に病魔と闘った。「本当は5人くらい子どもは欲しかった。だから告知された時も『もう子どもを産めないんだ』と思った」というほど子どもが好きだった瑠美子さん。力となったのは子どもたちの成長する姿だった。3人の子どもたちの運動会や誕生日などイベントの一つ一つが生きる目標になった。

梶原瑠美子さんが「お守り」としてスマートフォンのケースに入れていた長男蒼佑さんが書いた手紙=熊本県南阿蘇村で2018年4月5日、佐野格撮影

 子どもたちも、元気いっぱいの笑顔や優しい言葉で瑠美子さんを支え続けた。右胸を摘出した時は「悪いやつがおったからお医者さんに取ってもらったんだよ」と説明すると子どもたちは納得してくれたようだった。当時、保育園児だった蒼佑さんが「ままげんきなってね」と書いた手紙は、スマートフォンケースに入れて持ち歩く大切なお守りとなった。

がんを公表、広がる支援

長男蒼佑さん(右)の小学校の入学式に夫豊三さんと出席した梶原瑠美子さん(左)=熊本県南阿蘇村で2018年4月10日、森園道子撮影

 瑠美子さんは「生きた証しを残したい。誰かの力が欲しいし、誰かの力にもなりたい」と18年1月、匿名で「乳がんステージ4でも生き続けたい!」と題したブログを始めた。病気が判明するまでの経緯や子どもたちへの思いなど闘病記を発信した。同年4月には「若い年齢でも乳がんになる。一人でも同じ病気になってほしくない。何かを感じてもらえたらそれだけで意味がある」と、毎日新聞で蒼佑さんの入学式に参加する写真とともに病気を公表した。

 すると、共感と支援の輪が広がった。記事で闘病を知った保護者仲間の中嶋かおりさんらは、瑠美子さんがブログで、蒼佑さんの妊娠が先で結婚式を挙げておらず、「右胸なくても、髪の毛みじかくても、素敵なドレスを着たい。爪がボロボロでも指輪をはめてもらいたい」と記していたことから結婚式を企画。募金活動を始め、18年6月に村内の道の駅「あそ望(ぼう)の郷(さと)くぎの」で手作りの式を開催した。純白のウエディングドレス姿の瑠美子さんは、親族や友人ら約50人に祝福され、とびっきりの笑顔を見せた。しかし、既に医師からは「肝臓のダメージが大きすぎる。使える抗がん剤はない。3カ月も難しい」と告げられるほど容体は悪化していた。

友人たちの支援で結婚式を挙げた梶原瑠美子さん(左)と夫豊三さん=熊本県南阿蘇村で2018年6月8日、森園道子撮影

 そんな時に始めたのが、がん細胞を温めて死滅させる温熱療法だった。豊三さんが調べ、熊本県内で実践していた大津町の熊本セントラル病院を訪ねた。ここで、その後、伴走者のように瑠美子さんの闘病を支え続けることになる古閑敦彦医師と出会う。古閑医師は自身の母親を大腸がんで亡くした経験があり、外科医だが、手術だけでなく、患者にできる限り寄り添った治療をしたいと温熱療法にも取り組んでいた。

 「可能性はゼロではない」(古閑医師)とわずかな望みをかけて、仮設住宅を離れて再び戻った自宅から毎週、通院した。温熱療法と抗がん剤治療などを併用すると瑠美子さんの容体は徐々に回復していった。腫瘍マーカーの数値は改善され、一時は自動車の運転もできるようになった。なんとか年を越し、今年の元旦は自宅で迎えることができた。豊三さんと「年を越せると思っていなかった。また年を越せたらいいね。誕生日を迎えられたらいいね。できることをやっていこう」と喜び合った。

自宅で闘病しながら子どもたちと過ごす梶原瑠美子さん(左から2人目)=熊本県南阿蘇村で2018年10月18日、森園道子撮影

 しかし、昨年秋から始まっていた体のむくみがひどくなり、限界を迎えつつあった。それでも今年3月の取材時には「誰も責めることはできないし、今は後悔していることの方が少ない。病気になってから人の思いやりが手に取るように分かるようになったし、小さな幸せを感じられるようになった」「がんは治らなくてもいい。静かにしていてくれたらそれでいい」などと前向きに語っていた。

自宅で闘病しながら子どもと過ごす梶原瑠美子さん(左)=熊本県南阿蘇村で2018年10月18日、森園道子撮影

最期の日、そしてお別れ

 しかし、病魔は瑠美子さんの体を襲い続けた。髪の毛や眉毛は抜け、手足や顔がむくんで爪は全てはがれた。水がたまり、ふくれた腹部。その姿を見て涙を流す見舞客もいた。瑠美子さんは豊三さんに「何で皆あたしを見て泣くんだろうね」と聞いた。「本人は、周りが思うほど大変だと思っていなくて、自分が死ぬなんてみじんも思っていなかったからだよね」と豊三さんは振り返る。

 しかし、4月末にはがんの影響で右足を骨折。手術後、ベッドから飛び出すほど苦しんだ。瑠美子さんはあまりの苦しみに「何とかして眠らせてほしい」と古閑医師に頼んだ。そのため古閑医師の提案で豊三さんは鎮痛剤を使うことを決めた。「本当は使いたくなかった。使えば痛みは抑えられるが、意思の疎通も難しくなってしまうから。俺が死の階段を作っているような気もした。でも瑠美ちゃんを楽にしてあげたかった。半々の気持ちではいられない。瑠美ちゃんができるだけ苦しくない状態にするのが正解なんだと思って判断した」

ベッドに横たわる梶原瑠美子さんを優しく抱きしめる夫豊三さん=熊本県大津町で2019年5月15日、佐野格撮影

 5月15日朝、熊本セントラル病院の病室。「(豊三さんに)触りたい」とベッドに横たわりながらか細い声で訴える瑠美子さんを、豊三さんが優しく抱きしめた。その日、瑠美子さんは、昨年も一時期入院したことのある阿蘇市の緩和ケアのある病院に転院した。転院が済み、知り合いの看護師に豊三さんが、瑠美子さんを見やりながらつぶやいた。「頑張りましたよね」「ええとても」

昨年4月、当時入居していた仮設住宅前で長男蒼佑さんと見つめ合う梶原瑠美子さん(左)=熊本県南阿蘇村で2018年4月5日、佐野格撮影

 転院後は会話がほとんどできなくなっていた。そして転院から6日後の5月21日夕方だった。「息してよ。息忘れているよ」。ベッド脇で瑠美子さんの母高木美沙子さん(61)と、幼なじみの菊田菜美恵さん(35)が声をかけると、瑠美子さんの目から2、3滴の涙がこぼれたという。それが最期だった。連絡を受けて、すぐに駆けつけた豊三さんは泣きながら名前を呼ぶことしかできなかった。

 葬儀は5月24日に営まれた。早すぎる死を悼む友人や親族らを前に、菊田さんは弔辞で「病室に入ると目があった気がして喜んでくれたように感じた。瑠美ともっと過ごせると思っていたから、本当につらい。でも私たちの心の中にずっといるよ。空から見守っていてね」と語りかけた。豊三さんは「瑠美ちゃんのことを忘れずにいてください。皆さんが健康で幸せに過ごせることを願っています」と涙ながらにあいさつした。

友人たちの協力で結婚式を挙げ、夫豊三さんや子どもたちと一緒に記念写真に納まる梶原瑠美子さん(左奥)=熊本県南阿蘇村で2018年6月8日、森園道子撮影

 葬儀後、自宅で豊三さんが「ちょっと泣かしてください。蒼佑君」と言うと、蒼佑さんは「いいよ」と言って小さな手で抱きしめてくれた。豊三さんは瑠美子さんの死後、蒼佑さんに「今のママを見ておいてくれ。忘れるなよ」と声をかけた。いつの日か瑠美子さんの死を自分なりに受け止め、一緒に弟たちに伝えてほしいと思っているからだ。

 瑠美子さんは闘病中に「全部、旦那さんに私の分まで子どもたちを愛してもらえたら。こんな時にママだったらどうするのかなということを書いて残してあげたい」とも語っていたが、豊三さんや子どもたちにメッセージは残さなかった。豊三さんは「きっと時間はかかるけれど、子どもたちは自分なりに理解してくれると思う。だって毎日大量に薬を飲み、打てるところがなくなるまで点滴を打ったのも全部子どもたちのためだったから」と受け止めている。

友人たちの協力で結婚式を挙げた梶原瑠美子さん(左)と夫豊三さん=熊本県南阿蘇村で2018年6月8日、森園道子撮影

 闘病中に、長崎へ2人で旅行するなど思い出はたくさんある。日々の暮らしの中でも、仮設住宅から自宅へ戻った時に冷蔵庫を買うと、とても喜んでくれた。「でも、もっと一緒にいてあげられたら」。後悔は募るし、瑠美子さんのことを思うと涙があふれ出す。近く、職場にも復帰し、復興に向けて歩む古里で子どもたちと力を合わせて生きていこうと思う。「天国で見守ってくれている」瑠美子さんに再会したら、子どもの話をたくさんしてあげよう。

  ◇   ◇

昨年4月、当時入居していた仮設住宅前で長男蒼佑さん(右)と笑顔を浮かべる梶原瑠美子さん=熊本県南阿蘇村で2018年4月5日、佐野格撮影

 若い世代における乳がんの早期発見について、福岡市で乳腺・甲状腺専門クリニックを開く黒木祥司医師は「生理後1週間以内で乳房を触るセルフチェックを続けることが大事。そうすることで異常に気づきやすくなり、早期発見につながる」と指摘している。

 国は指針で、40歳以上を対象に2年に1回、問診とマンモグラフィーによる検査を定めており、各市町村ががん検診を実施している。多くの市町村で検診費用の公費補助をしており、一部の自己負担でがん検診を受けることができる。

 国立がん研究センターのホームページ(https://ganjoho.jp/public/cancer/breast/index.html)では、乳がんについての詳しい情報がまとめられている。

 また、全国各地に患者団体が存在する。毎日新聞への投書をきっかけに1978年に発足し、全国各地で活動する患者団体「あけぼの会」(http://www.akebono-net.org/index.html)は、各地で啓発活動や講演会、相談会などさまざまなイベントを開いている。【佐野格】

梶原瑠美子さんの歩み

2011年5月 梶原豊三さんと結婚

 11年11月 長男蒼佑さん誕生

 14年1月 次男琉心ちゃん誕生

 15年10月 三男碧志ちゃん誕生

 16年4月 熊本地震発生。本震で自宅が損壊する

 16年6月 瑠美子さんが自分で胸のしこりに気づく

 16年9月 南阿蘇村の仮設住宅に入居する

 16年10月 肝臓などに転移したステージ4の乳がんと判明

 17年6月 右胸を摘出

 17年7月 がんの影響で腰を圧迫骨折

 18年1月 ブログを開始

 18年4月 蒼佑さんの入学式に出席。毎日新聞で病気を公表

 18年5月 容体が悪化し、緩和ケアの病院へ入院

 18年6月 道の駅で結婚式を開く

 18年7月 温熱療法を開始。仮設住宅から自宅へ戻る

 18年11月 豊三さんと長崎旅行へ

 19年4月 容体が悪化し、入院。右足を骨折

 19年5月 2日に手術。15日に再び緩和ケアへ転院

      21日夕方、息を引き取る

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