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田植えの季節だ。水を張って鏡のようになった田んぼに、空が映りこんで美しい。農家にとっては、農業用水は死活問題。いまは用水路もあり水利権もはっきりしているが、かつては「水争い」もあった。
江戸中期の書物「奈良坊目拙解」には、京終村と高畠村(現在の高畑町)で水争いがあり、百姓を殺害された高畠村が幕府に訴えて出たという血生臭い事件が記されている。このとき、京終村の人々が京都の北野天満宮に加護を祈ったところ、無罪となり、京終村が高畠村より先に取水することを許された。そのしきたりが、いまでも続いているそうだ。
これに感謝して北野天満宮が祀(まつ)る菅原道真を祀ったのが、北京終町にある「京終天神社」であるという。
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